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20210922自分を構成しているもの

気づいたらまた日記をさぼっていた。

Eテレの番組だったか、NHKの番組だったか忘れてしまったけれど芸能人やクリエイターなど、2人(ジャンルがそれぞれ)が対談する番組をたまたまみていた。

モデル・タレントのアンミカさんと、演出家・脚本家・ラジオパーソナリティのマンボウやしろさんが対談していた。

私はオードリーの大ファンなのでアンミカさんの自分語りが大好きで

(オードリーがアンミカさんのポジティブ変換や、元カレがスパイというエピソードが大好き)

なんとなく見ていたのだけれど、アンミカさんのポジティブでたくましいキャラクターの背景にはご両親を早くに亡くされたり、顔面にケガを負ってしまった過去などがあり、根っからのポジティブではなく、少しづつポジティブになっていったのだなぁというのがわかる内容だった。


ご両親をリスペクトしているアンミカさんに、マンボウやしろさんが

両親に会いたくなるけど、もう亡くなっていて会えない時、自分の半分は父親で、もう半分は母親なんだと思うと、両親がここにいると思えると話していて、少し感じたことがあるので、日記として書いてみます。


私は両親に対して、決められた範囲の中での選択を常に求められていたと思っている。もちろん習い事などはたくさん習わせてくれて(強引なものもあったけれど)お金もかかっただろうし、感謝している部分もある。

けれど、常識的には、普通は○○するはずだ、変わった人とよく言われていた。両親の中での常識や、○○するべき、こういう人であるべきという枠があったので、否定されては自分に自信がなくなったり、納得できないことも自分の中で処理する必要があった。

全て環境のせいとは言わないけれど、今の私もふとした瞬間に誰かに何かを強要してしまったかもしれない。と思うことがあって、後悔したり謝罪したりしている。そんな自分にムカついたりしているのだけれど、マンボウやしろさんが言ったように私の半分は父親で、もう半分は母親だと考えると2人も今の私と同じように悩みながら進んでいるのかもしれない。

そう思えると、両親をとても身近に感じた。


いまはまだ両親は健在だが、いつかきっと天国に行く。それはきっと私より先。両親に会いたくても会えない日が将来くるのなら、会える内にたくさん会って、喧嘩でもなんでもしたいと思った。

ただ、もう怒り続ける体力もないので、するなら軽いやつにしたいと思っている。




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