身近な存在がいなくなるということ
いつも隣に居て当たり前だと思っていた存在が、
急に、いなくなる。
こんなご時世だからこそ、
今はそんな話がしたい。
2020年4月1日。
明日、私は社会人になる。
そんな門出を控え、学生最後の日をただなんとなく過ごすはずだった今日、
奇しくも“その日”は訪れた。
3月30日。
住み始めて1週間の社宅の片付けを昼過ぎに終え、ベッドでゴロゴロしていたそのとき、突如電話が鳴った。
「トトを、殺してしまうかもしれない」
電話口で嗚咽混じりにそう呟く弟に、私は思わず強い口調で、
「どうして?」
と返すのが精一杯だった。
トトとは、父の家で飼っているデグー(モルモットのようなネズミのような不思議な生き物)である。
私の家族は就職や進学に伴い、都内でそれぞれ別々に暮らしていて、このときは父が出張だったため、弟がトトを預かっていたのだ。
弟曰く、そのトトが昨日から体調を崩し、今病院で危篤状態だとのことだった。
弟は、トトが体調を崩すに至った原因(長くなるのでここでは詳しくは書かない)に心当たりがあるらしく、パニックになっていた。
私は真っ白になりそうな頭を必死で回転させ、「とりあえず病院に向かう」とだけ告げた。
弟が自分を責め続ける様子に、私だけは何があっても彼の味方でいなくては、と思った。
できるだけ冷静でいなくちゃとも思った。
ただ、私は意地悪だから、
それと同じぐらい、
なぜ体調の変化にすぐ気付いてやれなかったのかと責めたい気持ちもあった。
動物病院で見たトトの姿は、衝撃的なものだった。
人工呼吸器のような箱に入れられ、ぐったりとしているその姿は、数日前に私の掌で眠っていたときには全くもって想像し得なかったものだった。
待合室には、側から見たら元気そうな犬がたくさんいた。
受付のお姉さんに向かって、何か宣伝をしている営業マンもいた。
そんなとき、私の足元にどこかの犬が寄ってきた。
飼い主が「ダメ」と言っても、全くいうことを聞かずに私に擦り寄ってくる。
-その元気を少しだけでいいから、今トトに分けてあげてくれないか
そんな想いを押し殺しながら、私はそのつぶらな瞳に笑顔を向けた。
高校生の頃、実家に帰ると当たり前のようにトトがいた。
当時はトトと、双子の姉妹であるミミの2匹が家にいて、キュルキュルとお喋りをしながら私を出迎えてくれていた。
今思えば、受験期で様々なストレスと闘っていた私にとって、2匹との時間が唯一の癒しの場だったのかもしれない。
人懐っこくて病弱なミミに比べ、トトは身体つきが大きく、たくましかった。
ミミよりは野生っぽさのようなものが残っていたらしく、庭にいるカラスに向かって「キィ!キィ!」と彼女なりの威嚇をしている日もあった。
掌の上で餌をあげても、必ずゲージの中の家に戻ってひとりになってしか食べなかったりもした。
そんな姿を見ては、「カラスなんか威嚇しても勝ち目ないのにね」とか、「あんたの餌なんか私たちは要らないわ。笑」なんて呟く時間も好きだった。
そしてトトは、人に頭を触られることが大嫌いだった。
3月27日。
そんなトトと1ヶ月ぶりに会ったのが4日前だった。
昔は人に甘えることなんてなかったのに、この日は妙に人懐っこく、その姿は1年前に亡くなったミミを彷彿とさせた。
掌で抱えられてじっとして、私に撫でられながら眠りにつく様子を見て、「もうこの子も歳なんだな、いつが最後になるかわからないな」なんて考えた。
それが、こんなにすぐのことになるなんて、このときは思いもしなかったけれど。
この日、トトは私がいくら頭を触っても嫌がらず、いやむしろ嬉しそうに甘えてきた。
それが、私が元気なトトを見た、最後の日だった。
獣医さんと相談して、トトは病院に入院することになった。
年齢的にも極めて厳しい状態とのことだったが、少しでも可能性があるなら、と先生に預けることにした。
初診にも関わらず、先生は20分以上もかけて今のトトの状況と治療法について説明をしてくれた。
でもその長さが余計に、トトの深刻さを浮き彫りにさせた。
先生の話によると、トトの体調が急に悪くなったのは、年齢によるものが大きいとのことだった。
弟の行動が原因である可能性は低く、僅かではあるが回復しているということも聞かされた。
弟は、それでも自分を責め続けていた。
私は一瞬でも弟を責めたくなった自分を呪った。
帰り道、踏切の「しばらくおまちください」という文字を見て
-ああ、待たなかったらどうなるんだろうな
なんて思ってしまった。
3月31日。
弟は昨日より落ち着いた様子で、普通の会話もできるようになった。
「そろそろトトのお見舞いに行こうか」なんて話していたそのとき、“その日”を知らせる電話は鳴った。
「トトちゃん、10時ごろまでがんばってくれていたのですが10時30分が過ぎた今、硬直が始まってしまいました。
力が及ばずすみません。」
まるで、時が止まったかのようだった。
-私だけは冷静でいなくちゃ。
そう思っていたはずなのに、気付けば涙が溢れていた。
動物病院に着いて、トトを引き取り、その最期についての説明を受けた。
先生が棺の蓋を開けたとき、私はトトを直視することができなかった。
もう二度と動かないということを認めたくなかったのだ。
そのあと、葬儀屋の紹介をされた。
おそらく昨日のように、葬儀屋も営業に来ているのだろう。
自分も企業の営業職を志望して面接を受けていたはずなのに、このときばかりは、営業がとても憎らしく思えた。
支払いを待つ間、予防接種を終えた犬が待合室でおしっこを漏らし、飼い主に怒られていた。
-寿命を半年、いや1週間でもいいからトトにちょうだいよ…
怒られても全く懲りずに元気に吠え続ける姿が、私の心を磨り潰した。
弟の家にトトを連れて帰るまでの道のりは、本当に本当に長く感じた。
電車でたったの15分。
それでも涙を堪えるのに必死で、日頃は全く目を向けない行き先表示のパネルを、ただじっと見つめていた。
時折私が泣いているのに気付いた人が、まるで汚い物を見るかのような目をして去っていく。
-何にも知らないくせに
心の底から歯痒かった。
こんなにも悲しい日なのに、世界はそんなことには目もくれずに進んでいく。
黄色い線の内側に並んでいれば電車はぶつかってこないし、
改札にオートチャージのICカードをかざせば、弾かれることもない。
それが、本当に悔しくて、もどかしかった。
家に帰ってからは、弟と代わる代わるトトを抱っこし、今までの感謝を伝えた。
掌の中で静かに眠る姿は、4日前とどこか似ていて、それでいて全く違っていた。
硬くなった手足。
でもお腹はまだ柔らかくて、まだ暖かくて、
このままもう少ししたら目を覚ますかもな、
なんて絶対あり得ないことを思いもした。
いままでありがとう。
つらいのにがんばったね。
看取ってあげられなくてごめんね。
そんな思いと涙が一気に押し寄せては返し、また押し寄せた。
明日の埋葬に備えてトトの棺を作り、身体を冷やし、寝かせたときには感情がだいぶ落ち着いてきたが、思い出話をしては涙を流しての繰り返しだった。
涙を拭う掌は、トトの匂いがした。
黄色い線の内側で待つ私に向かって電車が突っ込んで来なかったように、何事もなかったかのように、明日、私は新社会人となる。
大泣きしたせいで顔がむくんでいても、研修中急に泣き出しそうになっても、私は社会の一員として、力を出し切る義務がある。
でも、私は忘れたくない。
今日亡くなったトトのことを。
大切な人は、存在は、
急にいなくなってしまうかもしれないということを。
そして、自分の行動が原因でその結果を生んでしまったかもしれないと悟ったとき、
果てしない後悔に襲われることを。
トトはもう返ってこない。
私もまだ、気持ちの整理はついていない。
でも、こうやって言葉にすることで、少しでも何かを伝えることができるかもしれないから。
今のこの気持ちを、10年後、20年後にも忘れずにいたいから。
そして何より、トトが生きた証を残したいから。
とてもきれいにまとめることなんてできないけれど、
私の今のこの気持ちは、間違っていないと思いたい。
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