私の震災体験(備忘録)
あれから11年。
当時受験生だった私は、信州大学に向かう電車内にいた。揺れの影響で電車が止まり、線路上の安全確認が取れず内船駅に停車したまま夜10時まで過ごした。ようやく動いたものの、南甲府まで。そこからシャトルバスで、深夜0時過ぎに甲府駅に運んでもらえた。
甲府駅は、帰宅困難者であふれていた。私と母も当然、甲府で泊まる予定はなかったので近くにあったルートインのロビーで一夜を明かした。3月とはいえ寒かったから、暖房の効いた空間と、地べたじゃなく椅子に座れたことに本当にほっとしたのを覚えている。
翌朝、受験に間に合わないこと確定だったので、大学に電話して問い合わせ、12時までに着けは受験でき、もし間に合わなければ日を改めて、再試験させてもらえると確認。電車の動きを見ていないと不安というのと、やっぱり人がたくさんいるところが苦手なのでホームで電車を待っていた。あまりにも寒くてうずくまっていたら、駅員さんが災害用のアルミ保温シートをくれた。私はあのときちゃんとお礼を言えてただろうか.....ありがとう、駅員さん。
9時頃に特急あずさに乗車したものの、こちらも安全運行でなかなかたどり着かない。結局間に合うかどうかぎりぎりの状態で、茅野駅で下車してタクシーを使い、一気に会場へ。タクシーの運転手さん、受験がかかってるなんて聞いてプレッシャーだっただろうなぁ。
11時45分くらいに到着し、無事に面接を受けることができた。辿り着くまでがドタバタだったから、本番はもう全然緊張しなかったことは覚えてる。
こんな状態だったし当時はガラケーでSNSも発達してなかったから、津波の映像は静岡に帰宅してから初めて見た。本当にとんでもない大厄災だったとはっきり認識したのは、その時になってから。
私が自分の受験のことで精一杯だったときに、こんなにも恐ろしいことが起きていたなんてショックだった。11年経った今でも、その時の感情は思い起こされる。
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