癌患者の家族になって

私と母は非常に仲が良くてなんでも話すような間柄なのですが、気になっていることがありました。

先月中旬、腫瘍マーカーだかが上がっててそれに関連した検査をすると。
いつもLINEがくるのに、今回はどうだったか言ってこなかったのです。
まあ、月末は結婚式だし別になんともなかったから言ってこないのかな〜と思う一方、いや、これはおかしいと。
その他にも疑わしいことがあり、絶対何かあるのに聞けない私。
聞けないのではなく、聞きたくないから聞かないのです。
聞いてもいい結果では絶対にないから。

10年ほど前に癌の治療を始め、現在も闘病中の母。
同じだけ歳をとっても、相変わらず自分のことばかり考えて、恥ずかしく情けないです。

結婚式では新婦からの手紙として、私も両親へ手紙を読みました。
文面は当日まで迷いました。脳裏に掠める嫌な結果がもうでているのではないか。長生きしてほしいけど、こんな希望に満ちた文面でいいのだろうか。そもそも病気に触れない方が良いのではないか。
結果、マイルドにして(自分比)書いたのですが。


昨日、他臓器に転移していたと聞きました。
やっぱり、嫌な話でした。
10年程前、当時ひとりぼっちの大学生だった私は「癌だった」と聞かされた翌日も、普通に学校へ行き授業をうけ、飽きコマにひとりご飯を食べながらこれからどうなるのかと、こうして吐き出す場所もなく、嫌に豊かな想像力で考えに考えていました。
無駄に医療知識が増えた10年後の私も、普通に仕事へ行き、慣れない仕事をして、帰路でひとり想像力を働かせて考えに考えています。

でも、10年前に考えていたより母は長生きしています。楽しいことも沢山しているし、花嫁姿を見せることもできました。体の色々なところにガタはきているけれど。

母も看護師、これからのこと分からないわけではありません。
テレビ電話の中の母は時折涙ぐむものの、新たな治療を乗り越えようとしています。

私にできることは、無駄に豊かな想像力を働かせてこれから先の辛いことを想像して泣くことではないです。母の治療が上手くいくことを祈りながら、母とLINEをし、テレビ電話をし、時折実家に帰っておでかけをして、私自身が元気で健康に生活を営むことなのでしょう。
また母と京都に行けるように、ブーケを作って写真を撮れるように、めげずに仕事をして貯金をして。何も知らない馬鹿な娘でいいです。楽しいこと担当になってにこにこしていることが私の役割です。10年前からずっとそうなのだから。

いつか必ず訪れる時まで悔いのないよう、精一杯私も生きていたいと思います。


長くなっちゃった。
それではまた。

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