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【半冬眠日記】45.まとめ-生活は止まらない

半冬眠という2ヶ月に及ぶ時間優先の生活もそろそろ終わり。朝晩はまだ氷点下だけれど日差しはあったかい。もう春だ。


昨年の秋頃からなんだか忙しくて、でもやりたいこともたくさんあって、一度立ち止まりたいと思った。で、仕事が落ち着く2022年1月から2ヶ月間、働く量を減らして時間を優先してみた。



本当にのびのびできた。
心の皺を一つずつ手で伸ばしていくような日々だった。自分の中の破れを繕うことは自分を大切にできている。そのことが想像以上に幸福感をもたらしてくれた。



2020年の無職の時は、たっぷりと時間はあったがメンタルもやられていて、仕事も決まっていない不安感がどうしても付きまとっていた。今回はそれがなかったからのびのびできたんだろう。



■時間
とってもあった。やりたいけど時間がなくてできない…リストがモリモリと消化された。「料理ができるようになる」みたいなぼやぼやしたものは外した。そこまでしてやる必要はないと項目から消したものもあった。



それでも0にはなってないが、優先順位をつけることで自分のやりたいことやるべきことが徐々に見えてきた。家事レベルからこれからの生き方レベルまで。優先順位をつけた今と、順位に沿って実行し続けた未来が地続きであることが想像できるようになった。



■備える・整える
「備えている」感覚にもすごく安心できた。これは性格からきているのだと気づいた。ぶっつけ本番が大の苦手な性格だからこそ、安心できる場で時間をかけて身の回りを固めていくと、これだけできたから大丈夫と不安がなくなり、次のステップが踏み出しやすくなったように思う。


やりたいことに取り組んでいる最中の「整えている」感覚がすごく気持ちよかった。物の場合は見違えてきれいになる。掃除が習慣になると部屋が荒れることがなくなったので、気持ちの波が少なくなった。時間もできた。さらに本を読んだり、noteを書くことで心も整えられていった。




■自分の優先順位
自分という個体単位では命、健康、お金の順で大事だと言うこと。

何より命。防災意識を高めることは命を守る上で大事なこと。「備える」が一番ベースにある。備える中で、有事の際は自分は支援される側ではなく支援する側に回りたいと思った。だから自分の分はあらかじめちゃんと備えようってより意識が強くなった。



だがギリギリの時は体一つで逃げるのだ。その時は例えどんなに備えても何も持って行けはしない。だから自分の中に知識を入れること、落ち着かせるメンタルを携えることも重要だと思った。その辺は経験したり鍛錬したりするしかない。



そして命があってこその健康。「備えた」上に「整える」が乗っかってくる。どれだけ日々の波幅を小さくできるかが鍵となりそうだ。人との繋がりもここの健康に入ってきそう。



最後にお金。何でどれくらい稼ぎ、何にどれくらい使うのか。良い環境や使い道を探したり作ったり繋げたり。多分、お金が入ってくる流れと出ていく流れはいくらでもある。個人の意識によって選ぶ道もたどり着く先も違ってくる。お金に頼りすぎてはいけないが、豊かさをもらたしてくれるものの一部だ。気持ちいい方に使っていきたい。



こういうのって重要だけど緊急じゃないことで、ついつい緊急にしがちな仕事の順位を下げたことで、今まで見えてこなかったこういうことが自然と浮き出てきた。人生には仕事以外に向き合うべきことがたくさんあった。




■生活のベースは自然環境と政治
生活のベースは個体で考えると「命と心身の健康」であるが、集団で考えると「自然環境と政治」ではないかと思う。当たり前すぎて普段意識しないが、太陽があたたかい、水が流れている、やがて土に還るのは自然環境のシステムがあってこそ。さらに水道やゴミ処理や道路といった人間側のシステムは行政が指揮をとっている。



今年は寒く、雪もたくさん降った。太陽光のあたたかさはすさまじく、あっという間に車の霜は解ける。とはいえ草にとっては気温が低いので、畑の草の勢いは全く無くなった。寒い時には活動がゆっくりになる。それに合わせるのもいいなと思った。自然の流れは止まることなくゆっくり進み、行き先はいつも決まっていて、また帰ってくる。そうか、回っているのかと実感した。



「病気になって知る、健康のありがたさ」とはよくいうが、コロナになったことで行政の対応について疑問に思ったりナイス!と思ったことはあったんじゃないだろうか。少なくとも行政が誰かの手によって動かされているのだと体感したと思う。



ナイス!はなかなかないかな笑。天気予報みたいに良い方になって当たり前の世界で、税金を払っている国民が保障されるのは当たり前なのだから。生活のほぼ全てに税金がかかっている。その辺は映画「ボストン市庁舎」を観たことと確定申告をしたことと市議会議員さんの広報誌を読んだことが大きい。



「政治に参加する」というと堅苦しいが、今住んでいる地域の「市政」に参加したいと思った。幸い、市政について発信をしてくれている方々がたくさんいるので、まずその方々から情報をいただいている。



■お金
お金がなくても生活できたと言いたいところだが、お金は必要だった。自分の得意が活かせるいいバイトが見つかったから、逆に2ヶ月間休ませてくれるバイトもあったから、安心できている。それらは自分で掴み取ったバイトである。



月十数万はその月の生活維持だけで消費される必要経費だ。その辺の見通しは日々家計簿をつけていたからこそ得られた情報で、頑張って磨いた生活運営技術のおかげだ。この2ヶ月でもっと磨きたいとも思えた。



お金は人を助けてくれるアイテムだ。自分がいいと思うところへ注ぎ、あたたかい何かが生まれたらいいなと思いながら使っている。


■人
人に関わる余裕ができた。特に母親と連絡を取る回数がぐんと増えた。以前は気軽に言えなかったちょっとした感謝の言葉も言えるようになった。時にぐっと我慢することもあった、なんでもかんでも自分の思い通りにはならないこともわずかではあったが、あった。



自分とは違う人に対して分かり合うための手段を考えること。「対話」ができる人になろうとも思った。なかなか練習できるものではないから、いきなり上手くなるのは難しいけど、意識は持っていたい。




遠くに住む友達にもプレゼントを贈ることができた。心の内を書き留めたメッセージカードも添えることができた。簡単に贈るといっても、ものを選ぶ〜買う〜梱包する〜書く〜郵送する、その一連の動作には時間も手間もかかる。喜んで欲しいと思えるには心のゆとりが何より大事。



今回は120%の気持ちで贈ることができた。その結果、150%になって返ってきた。ちゃんと想いは届いた。会って話すことには勝てないが、離れていてもできることはあった。


■物事
とにかく目の前に既に「ある」ことに目を向けられた。ミニマリズムもそう。家族や仕事やご近所さんとの人間関係もそう。もう十分に「ある」のだ。


いくらでもチャンスが「ある」なら今はやめとこう。近くに頼れる人が「いる」なら今必要で足りないものを借りよう。自分にはないけど他人にはあったりする。おかげで人に頼ることもできた。



■バランス
人によって信じてるものは違うので、当然自分を保つバランスも違う。
自分に合わない価値観と距離を置くのはとっても心地いいことだと気づいた。今後その価値観と近づくことになったとしても、いい距離感を保ちながら接することができると思う。どのバランスでいくのか決めるのは自分だ。



自分なりのバランスとは日々の諦めと挑戦の積み重ねなのではないか説も出てきた。センスの良い、なんかいい雰囲気なあれやこれやに囲まれる妄想が一時期好きだったが、今ではおしゃれさは諦めた。あれとこれを掛け合わせたおしゃれさよりも、ひとつずつをちゃんと見てあげたシンプルさで十分になった。



今までわりと直感で生きてきたが、もう少し数値でも見れるようになっておきたいとも思った。特に家計の面で。お金はやっぱり数字であって一番わかりやすい。苦手だと思ってたけど、挑戦してみるのもいいかもしれない。



こうやって自分を支える重心を探りながら、シンプルに生きたいな。例え他人から見たら偏っていたとしても。




結局は「自分」に返ってくる。
自分は何をしたいか、どこに身を置きたいか、どんな人と関わりたいか、どんな目標があるのか、これについてどんな距離感を保つのか、何を信じるのか。


わがままでいいこと、自分の声に従うこと、こんなに余裕のある私なんかが断ってしまっていいんだろうかと思うことはあったが、無理な時は無理しない。多少迷惑はかかるけど、遠慮しなくていい。



目の前の暮らしに広がる物事はすべて「自分」につながっていて、選んできた結果が「今の自分」になる。現状維持も変わらないことを選んだ結果である。



当然だが、今の自分は未来の自分に繋がっている。今日の小さな選択は、塵は積もれば山となり、大きな山になる。その山に美しい循環や豊かな生態系は生まれているだろうか。耕そう。植えよう。自分の頭で考えて、4本の手足を動かすのみ。





生活は止まらない

立ち止まりたいと思って休んだ2ヶ月だったが、実際生活を止めることはできない。1日は24時間しかなく、1年は365日しかない。そう、お分かりの通り、どう頑張っても時間は足りないのだ。それを前提に生きていかなくてはならない。



一生の1/3は眠っているし、毎日お腹は減るし、体も服も汚れる。床の埃は気付くとまた溜まっている。立ち止まりたいと思って歩くスピードを緩めたが、睡眠・家事などの人間サイクル、その上に仕事や趣味などの人間活動。スピードを緩められたのは人間活動の方で人間サイクルは止められない。



何もせずに楽して生きていくなんてことは、諦めなくてはいけない。家もいらない服もいらない1匹だけで生きていける野生動物が羨ましく思う時もあったが彼らは彼らで自然淘汰の中に生きている。人間は誰一人として淘汰されてはいけないことになっている。生きている世界が違う。



淘汰されない世界で生きる人間は大きな頭を正常機能させるために8時間近く眠らないといけない。気持ちいいを維持するには家事をしないといけない。人間としての諦めないといけないこともあるけれど、人間しかできない楽しさもある。



ああ、今が本当に楽しい。来月からもきっと楽しい。
生かされていると思えた2ヶ月だった。


真中

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