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手帳を選ぶシンプルな理由

コンピュータはロボットか?

私はイラストレーターの鴨沢祐仁氏の大ファンでした。十数年前ひょんなことから縁ができて、わが社のミニコミ誌「やさしくデジタル」のためにイラストを描いてもらえることになりました。元来広告関係のイラストレーターというのはアートディレクターから詳細なモチーフを提示され、それに逸脱しない範囲でイマジネーションを膨らませていく職種で、それがまた作家性でもあります。で、そうしたことにあまりくわしくなかった私は、鴨沢氏にとてつもなく厄介な注文を怖いもの知らずにしました。「鴨沢さんのイメージする未来のコンピュータを描いてください」。幸い鴨沢さんはイラストレーターであるだけでなく、マンガ家でもありました。コンピュータにくわしくはありませんが、コンピュータは大好きでした。あーでもない、こうでもないと悩みながら、アナログな技法で1枚のイラストを仕上げてくれました。曰く、「未来のコンピュータはロボットである」と。ブリキのおもちゃのロボットでなく、本物のロボットにはいうまでもなくコンピュータが入っており、それによって制御されています。「案外つまらないなあ」とそのときは失礼ながら思ったものです。

ドラえもんこそスマホである

マンガつながりでお話しを続けます。藤子・F・不二雄先生は日本の児童漫画の巨匠で、私も大ファンであります。共同制作だった作品もありますが、長年パートナーであった藤子不二雄(A)※〇Aが正しい表記先生のブラックな作風と異なりハートウォーミングなイメージで知られています。F先生の代表作「ドラえもん」は没後もテレビアニメや劇場作品の制作が続けられていますから、世代に関係なく見たことのある方は多いわけです。
スマホは携帯電話であると同時に電子手帳から進化した高機能なコンピュータです。最近のスマホの進化を見ていると「ドラえもん」こそスマホなんだなと気づかされます。

「ドラえもん」には私たちの育った昭和、戦後の原風景が今も残されています。皮肉にも、未来から来たネコ型ロボットは、あんなことができたらいいなと思っている子供たちの夢を簡単に叶えてくれる存在です。でも、未来の科学をのどかな世界にいきなり持ち込んでもうまくいきません。なぜ、あの世界に存在するというタイムパトロールがドラえもんを回収にこないのかまったく謎です。たくさんのひみつ道具をプレゼントしてくれるドラえもんは嬉しい存在です。でも、のび太くんの耳元であーしろ、こーしろとナビゲートしてきたらどうでしょうか。失敗しないよう親切で言ってくれるのはわかりますが、自由がなくなってしまいます。のび太くんは一切ミスをしなくなりますが、作られた出来杉くんであって、のび太くんという個性は消滅してしまいます。 結局、便利なひみつ道具は使い方のナビゲーションを受けながら、間違いなく使わないと決してうまくいきません。のび太くんがドジで軽はずみだから使いこなせない、欲をかいたりズルをしようとするから失敗するという、寓話めかして物語は進みますが、本質的にはのび太が失敗をせずにひみつ道具を使いこなすには、ドラえもんの操り人形になるしかないということです。スマホは、過保護すぎるおせっかいな友人のような存在です。
だから、「さよならドラえもん」で、ドラえもんの力を借りずに、ジャイアンに勝ったのび太のようになりたいと私は思います。未来のコンピュータはスマホという形にはなっていますが、正体はまさにAI内蔵のロボットなのです。今となっては鴨沢氏の慧眼に感服するしかない次第です。

私は友人には、万能なドラえもんより、できることの少ないオバケのQ太郎のほうが欲しいです。ともに悩み、失敗しながら、当たり前の日々の中にある小さな幸せを探し、ひとつひとつの歩みを確かめたい。私がスマホでなく紙の手帳を選ぶのは人間らしくありたいというシンプルな理由からです。

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