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やりたいことは紙であれ電子であれ手帳が高機能する過程で失ったシンプルな操作性

バブル期のころまで手帳は購入するものと別に貰い物で済ませる人たちも多くみられました。

明治13(1880)年に住友銀行(現三井住友銀行)は横浜・馬車道の文具店・文寿堂(ぶんじゅどう)に社名入りの手帳の制作を依頼しました。これは我が国の民間初の手帳であり、足掛かりに文寿堂はあちこちの企業から洋式の手帳の受注生産に成功します。企業は年始に社員に自社の刻印の入った手帳を配り、一年間使わせました。社是・社訓・度量衡(どりょうこう)の一覧、年齢早見表などが記載されていました。多くの企業が追従し、日本ではかなり長い間手帳は貰い物であるという文化が定着し、手帳を自分で購入するのは、ごく一部のこだわりのある人々のみでした。

ちなみに今日の手帳の定番のコンテンツであるカレンダーは紀元前18世紀の古代バビロニア時代の太陰暦の暦まで遡り、エジプトに生まれた太陽暦がシーザーにより広められローマ帝国の時代にはいわゆるユリウス暦が使われるようになり、1582年にはグレゴリオ暦に改定されています。江戸時代までは日本では太陰暦が使われ、天保15(1844)年にはその決定版といえる天保暦が完成しています。しかし、文明開化の流れでわずか約30年後の明治5(1872)年には日本でも太陽暦が採用されています。太陰暦は現在でも旧盆、旧正月、一部のお祭りの日程に残っていますね。中国やベトナムなどの国々では今日でも旧正月は大切なイベントです。

さて、日本の手帳の歴史は軍人手帳、警察手帳、年玉手帳、生徒手帳と官民問わず、団体の一員としての自覚を促し、所属意識を高める、意思統一の手段、つまり人を管理するためのツールとして進化して来たわけです。

その決定版といえるのが昭和24(1949)年に日本能率協会の当時の理事大野巌が考案した日本初の時間目盛入りの手帳「能率手帳」です。大野の生産性向上のためには時間の管理が大事であるという思想のもと作られた能率手帳(NOLTY)はわが国のビジネスマン向け手帳の決定版となりました。

さて、手帳の種類が増えるに従い各手帳メーカーは利便性を高めるためにさまざまな付録を手帳の中に落とし込んでいきました。地図であったり、警察署や郵便局、役所や病院、公共施設の一覧であったり、企業の場合は営業所一覧や主要取引先の連絡先など、住所録もそうですね。純粋なスケジュール管理の道具でなく、電子手帳とスマホの違いを見てるようです。

鉄道網も官公庁の住所ももちろん毎年そんなに変わるわけでないですし、住所録も毎年新規に作るより新しい知り合いの住所や変更を追記していったほうが便利です。やがて、住所録は別冊の形の手帳が出てきます。共通する部分は流用し、必要なスケジュール管理のページのみが差し替えられるそんな手帳がバブル期真っ盛りの昭和59(1984)年に日本に上陸します。ヨーロッパの手帳の故郷イギリスで、ファイロファックス社が開発したシステム手帳です。バイブルサイズの手帳の中身は必要によって差し替えられるルーズリーフタイプの手帳は画期的で、ブームは一段落しましたが、今日でも根強いファンがいますね。システム手帳の中には小型のデジタル時計内蔵だったり、カード型電卓が付いた製品もありました。

1990年代には電子手帳が登場しますが、電子手帳によるスケジュール管理は敷居が高く、一般への普及は平成19(2007)年のiPhoneの登場を待たねばなりませんでした。

わたしたちが新しい手帳『M365』でやりたいことは紙であれ電子であれ手帳が高機能する過程で失ったシンプルな操作性です。なんでもできるスマホで通話している最中に時間を知りたくなったり、メモを取りたくなってあわてて筆記用具を探したり計算をしたくなったりというのはよくある話です。少し重くても電子書籍より紙の本が使いやすいように、最近あまり使わなくなりましたが腕時計が時間を知るのに便利なように、スケジュール管理に特化した紙の手帳が欲しいのです。便利な機能はスマホに任せておけば十分です。時代に逆行したシンプルなツールですが、手帳に管理される生活から自分を解放し、自分が手帳(スケジュール)を管理するようにありたいと思うわけです。

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