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手書きの手帳をあえて復活する

誇大広告でもなんでもなくスマホを使えば実に多くのことが便利になります。でも、一度その便利さと距離を置いてみると新たな発見がでてきます。

スマホの便利さを顧みると、実家を出て新しく部屋を借りたときのことを思います。実家から古い道具をわけてもらって、それでも足りないものは新調しました。はじめは不自由であっても給料日の度に新しいアイテムを買いそろえていく。日曜日が家具選びにつぶれてもったいないようでも自分の部屋を自分好みに変えていく作業は最高に贅沢で貴重なものでした。今日では大型の家具チェーン店に行けば安価で手軽にさまざまなセット商品が売られています。台所何点セット、洗濯何点セット、寝具何点セットといったところです。道具1個1個に「自分の趣味を入れなければ」そこそこ便利で快適な暮らしができるようになったのです。

こうした社会の均質化はバブル崩壊後のデフレ経済下で進んだ現象で、どこのマンションでも大型冷蔵庫やドラム式洗濯機を除けば質素なセット商品に埋められています。普段着は機能性を重視した安価なフリースがメインであり、色やサイズの違いはあっても制服を知らず知らずに着せられているのと同じです。バブル期にはさまざまなメーカーが栄華を誇ったファッション業界の凋落はその象徴です。便利さの代わりに個性を捨てることを強いられたのが平成という時代だったのです。便利になっていくので、暮らしが貧しくなっていくのが当たり前になっていったのです。

スマホは便利でなんでもできる無駄のない道具です。でも、無駄というのは個性であり、贅沢であり「生きる」ということです。

・アプリでなく、あえてJTBの時刻表で列車の乗り換えを調べる。
・スマホのカメラでなく、あえて「写ルンです」で写真を撮る。
・スマホの時計でなく、あえて腕時計や懐中時計を用意する。
・知らない人がつけた点数を、あえて見ないで新しい店を開拓する。
・Amazonでなく、あえて駅前の書店に行き余計な本も買ってしまう。
・カーナビを当てにしないで、あえて地図や自分の勘を頼りに目的地まで行く。
・音楽をレコードで聴く。
・メールでなく、あえてハガキで送る。
・スタンプでなく、あえて会って話す。
・手書きの手帳をあえて復活する。

どれも結論を急がず、回り道なようでもアナログな方法で、日々にアプローチする手法にはなりますが、アリだと思います。効率や正解のみに縛られたスマホの世界にない無駄が人生に深い味わいをもたらしてくれるということを思い出すはずです。井戸で水を汲み、氷で食べ物を冷やし、洗濯板で服を洗い、かまどでご飯を炊く時代にはもう戻すことは不可能ですが、変化したライフスタイルをちょっと変えるだけで、便利な日常の良さがわかってくるはずです。ルーティンな日々の生活の中から、小さな幸せを1個1個確認していく作業、それは宝探しのように心ときめく冒険です。それに最適な道しるべが、昔ながらの紙の手帳なのです。

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