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進歩を拒むへそ曲がり

スマホは無個性なコンビニエンスストア

電子手帳をベースとしたスマートフォンは、ガラケーからさまざまな用途を引き継ぎました。電話帳、通話機能、カメラ、メール機能。インターネット閲覧、ワンセグといったところが代表例です。ガラケーの時代にはテレビゲームも原始的なものでしたが、今日ではゲーム専用機と比べても遜色がありません。スマホは電話と言いながら、高性能な小型コンピューターですから、新しいアプリケーションを増やせば機能を増やすのは簡単なことです。音楽プレーヤー、動画再生プレーヤー、お店のスタンプカード、カーナビ、家電のリモコン、銀行の通帳、お薬手帳など新しい用途が次々と増えて行きます。フェリカチップの搭載により、電子マネー、ルームキーにもなります。

進歩を拒むへそ曲がりに見えるかもしれませんが、便利になっていくことは確かに良いことではあるのですが、万能であることは必ずしも良いことではないんです。万能というのはこれといった特徴がないということも同じです。

大型スーパーマーケットが各地の個性的な商店街を、ファーストフードチェーンが個人経営の小さな食堂を駆逐し、さらには24時間営業のコンビニエンスストアが林立します。パン屋も文具店も酒屋も米屋も弁当屋も大資本が商店街を飲み込み、シャッター街が各地に生まれていく光景と本当にそっくりです。

カメラと携帯電話の融合が写メールという新しい使い方を生み出したときにはわくわくしました。ラジオとカセットテープの融合がラジカセとなったことも画期的でした。ごく限られた範囲での機能のコラボはおもしろいものです。でも、万能のデバイスと化していくスマホはなんでもできるのが当然で、そこには驚きもときめきもありません。ゲーム専用機のニンテンドースイッチやアナログのレコードの再評価が始まってるのは、専用機の良さが再認識されているということです。

スマホが万能になればなるほど、それをなくしたときのダメージもはかりしれません。スマホを家に忘れたとき、紛失したとき、充電が切れたとき、エラーを起こして復旧に時間を要するとき、人は不自由になってしまいます。スマホなしの生活は無理であっても、頭を切り替えて、スマホでなくてもよいものはスマホでやらなくてもいいのです。私はデジタルから切り離せるもののひとつが手帳であると思うのです。

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