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手帳はステータス

ドイツのグーテンベルクが1445年ごろ活版印刷を発明し、聖書の普及に大きく貢献しました。一方、今日のようなあらかじめ印刷された手帳の歴史は1812年イギリスの文具商レッツが商品の在庫管理や帳簿の記録を書き留めるものが欲しいという顧客の商人たちのニーズから、見開きで6日間を記録する手帳(ダイアリー)を開発しました。キリスト教国での商用を想定したものでしたから、安息日である日曜日は含まれないものでした。付録として巻末にロンドンの船の航行スケジュールや潮汐表がついていたといいますから、レッツはなかなかのアイデアマンですし、海運が世界を結んでいて、ロンドンがその中心地のひとつであったことをうかがわせるエピソードですね。数年後にはさまざまなサイズやフォーマットの手帳が生まれましたが、400年以上の歴史を持つ“元祖手帳メーカー”レッツ社は今日でもイギリス国内で約4割のシェアを占めています。

一方日本での手帳のルーツはといえば、16世紀末の豊臣秀吉が太閤検地を行なった際の「野帳(のちょう)」と言われています。江戸時代には役人たちは手帳と呼ばれるメモ帳を携行するようになり、それを俳諧師や戯作者たちにも広まります。

日本に西洋型の手帳が伝わったのはレッツ社が手帳を開発してから半世紀が経ったころ、1862年の文久欧州使節団に加わった福沢諭吉でした。そうあのありがたい1万円札の諭吉さま(笑)です。79年には大蔵省印刷局がフランスの日記を参考に「懐中日記」を発売し、大正時代に入るとポケットサイズに改良され、当時のサラリーマンのステータスとなったそうです。意外にも「懐中日記」は現在でも明治時代に創業した手帳メーカー博文館新社に引き継がれています。

話が多少前後しますが、日本で初めて本格的に作られた手帳は明治元(1868)年に軍人や警察官のために印刷したもので、関連法規や心得などを記したものです。警察手帳が身分証明を兼ねているのは刑事ドラマなどでみなさんもよくご存じのとおりです。
少年探偵団や特撮のヒーローたちが使っていたのもその派生物になりますね。昔の玩具には探偵手帳ばかりでなく、1960年代スパイ手帳(スパイが証拠を残すようなものを持ち歩くのもどうかと思いますが…)が日本中でブームになったものです。

さて、子どものころそんなワクワクする手帳に出会わなかった人たちが初めて出会った手帳は、警察手帳や軍人手帳の正統なる後継者たる生徒手帳というやつです。中学に入って身分証明書を兼ねた生徒手帳を手にして大人になったと自覚する反面、あの忌まわしい校則や生活を管理する生徒心得が山ほど書かれていて、それ以来手帳に管理される生活はこりごりですし、プライベートの予定が書ける自由な手帳が欲しいなあと思うようになったわけです。

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