見出し画像

やさしくデジタル

スマホはお節介な友だち

この30年、通信環境は固定回線から無線の時代へ急激な移行を遂げました。
せいぜい自動車電話や電池の保たない旧式のポケットベルすら高級品だった時代には、固定電話が実質的なリアルタイムの通信手段でした。

外回りの営業社員は会社に公衆電話から定時連絡を入れたり、アクシデントで待ち合わせ時間に遅れそうな場合は面倒でも固定電話のある相手とアクセスするしかありませんでした。ポケベル、携帯電話、スマートフォンといった文明の利器は、非生産的な作業から私たちを解放し、自由にしてくれたはずでした。ところが、気づかないだけで通信機器を通じて絶えず他人から管理されるようになっただけでした。

四半世紀前のWindows95の登場もそうです。専門家あるいは、お金持ちのマックユーザーの専有物だったコンピュータが誰でも使用可能なインターフェイスとなったのです。私たちは無駄なことをやる必要がなくなった半面、絶えず効率のみを要求される歯車になってしまいました。もちろん、私たちはパソコンやスマホの恩恵を十分に受けていますし、もはやそれなしで生きていくことはできないでしょう。

正解への最短ルートはスマホが導いてくれる。それは確かに便利なことです。でも、犯人がわかった推理小説がつまらないように、攻略本片手にRPG(ロールプレイングゲーム)をやっても味気ないように、スマホに依存した生活はおもしろくありません。駄作の映画を見た失望、おいしくないお店に入ったがっかり感、それらは素晴らしいものに出会ったときの喜びにも変わるものです。道に迷ったとき、たまたま景色の素晴らしい場所や、おもしろそうな店を見つけたり、回り道も決して悪くないでしょう。

他人が良いというものでも、自分の好みに合わなかったり、他人がめちゃくちゃけなしたものでも自分のツボにハマるものがあります。自分が選ぶということはそれだけ意味があることなのです。自分のためを思っているのはわかっていても親の言いなりになるのはおもしろくありませんよね。正しいのがわかっていても先輩のアドバイスが煙たかったり、上司からの命令、先生の指導、監督の指示、理屈で割り切れないことがあります。それでも、自分ですべてを決めたい。そう思うことは自立です。

デジタル依存からアナログに回帰しようという本能は人として当たり前のことです。
だから、私はスマホの支配や管理に対して、少しばかり反抗期を迎えています。昔ながらのアナログな手帳を併用することで、味気ない日々から脱出できると思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?