上手く思われたい 2012-08-23

セッションやライヴで、ミュージシャンに自分の演奏を聞かれる。同じ楽器の人に聞かれる、そういうことのストレス。

これについては、とうに昔にクリアしたと思っていた。

まだベースを始めて3,4年の頃、巷のセッションでそれは十分に味わってはいたけれど、その時の師匠のライヴ&セッションに参加した時、師匠がBlack Orpheus(Manha De Carnaval)をソロで弾き、そのあとに自分がセッションで弾かなければならないという状況に陥り、めまいを覚えたのが最大の試練だったと思う。

それでも弾きに来ているという自分の望みと、この状況に比べればどんな人の後で弾くのも大したことはない、と悟ったおかげで、かなり厚かましくどこでも弾けるようにはなったはずだったのだが。



なんでこう自分を痛めつける無駄な考えというのは、抜いても抜いても生えてくる雑草のように、知らずに生い茂ってしまうんだろう。



久しぶりに一緒にやった人に、変わった、うまくなったと思われたい、あの人には下手だと思われたくない、あそこのお客さんにあわよくばなかなかやるなと思われたい。。。こういう考えは何か調子の悪い時ほど目立ってくる。

もしそう思われることに成功しても、自分が今、演奏するということにとっては何も及ぼさないこともわかっている。



しかし妙な話であるが、実はアレクサンダーテクニークを始めてから、演奏に集中しきれるということも出始めてはいるのだ。

お客さんがいる、自分よりも上手く弾ける人が客席にいる、でも曲が終わってから「あ、人前で弾いていたんだった」と気づくくらい、必要なこと以外の情報を抑制できる、そんな状態。

そういう状態があったり、ある程度の厚かましさが育ったと自負しているからこそ、なんでいまさらという気持ちも手伝い、余計その考えに手が付けられなくなってしまうのだ。



今日のレッスンでは、その、要約すると「上手いと思われたい」ということになる気持ちについてどう自分に対処していったらいいかをワークしてもらうことにした。

無駄な考えと言うのは100も承知である。ほかにやらなければならないことがあることも知っている。自分の望みも。



「何をする必要がある?」

と聞かれた。

「音を聞く、それに反応して演奏する。譜面を見る。楽器を弾く。。。」

「身体のこともだよ」



と、言われたときにふと思った。

繰り返し言われる「身体と心は一つである」ということ。

アレクサンダーテクニークでは、身体と心をを分けて考えたり、どちらかのせいにだけしたり、ってことはできないし不可能だというあたりまえの事実を再確認する。

体のどこかが痛いと思ったとき、「部分」だけを直そうとするのでなく、心も体も含めた全体が作用した結果、その部分に出てきているに過ぎないことを忘れずに、全体の協調作用を働かせていく、というそんな道筋を取るのだ。



それと同じようにその、うまく思われたい、という気持ちの一部分に自分はフォーカスしすぎているのではないだろうか、と思った時すこし、ふっと楽になった気がした。

身体と心の全体で今やっていることの、心の方だけ、さらにそのほんの一部分に過ぎない考えの部分だけに集中しすぎ、逆にほかの必要な部分を殺してしまっている。



そして、「じゃ、”上手く思われるためには何をしたらいいか”考えてみようか」

と、言われ、とっさに

「え、上手く思われたいなんて思っていいの?」と、気持ちが揺れた。



上手く思われたい、というのは当然だし、それは自分の演奏のエネルギーのもとにもなる。

決して悪いことではない、そう思っていいんだ、というのを聞いたら、再びなにかがほどけたような気がした。



「上手く思われたい」という気持ちを、よくないものだと決めつけていた、それを持っているのもよくない、そうあるべきではないと思っていた。

そのあたりまえな、あるべき気持ちを「なくす」という不可能な願いを持ったせいで、気持ちに葛藤が生まれていたのかもしれない。



ここでワークは終わった。

自分の予想では、その気持ちを違う考えで抑制する、という方向になるのではないかと思っていたけれど、違ったなぁ。

自分が感じるワークの王道のような道筋を通って解決に至ったことが予想外だった。



結構考えることが好きで、人と違うことを考えることも得意だと思っていた、なのでこういうワークは自分にそう必要ないものだと思っていたのだけれど、そのせいか、簡単な、意外なところに落としどころがあるなぁ。。。自分って、わからないものだね~。



自分ではあまり気づいていない、そういう気持ちの小さな結び目は、日常で何かかすかに引っかかる。。。という部分に潜んでいるのかもしれない。

アレクサンダーではこういうのも「シンキングボディ」というジャンルでカテゴライズしているのだけれど、今日みたいなワークをアクティビティとして、しばらくやってみようかなぁ、と思っております。



そして帰りの電車で思い出した。

ワークの最中に「最近アレクサンダーを始めたことで演奏が変わったと言われるのだが、そうすると、変わったって思われなきゃ、とも思ったりする」と言ったら「自分にむちゃくちゃプレッシャー与えてるね」と言われたっけ。



自分を甘やかすのは、ものすごく得意だと思っていたけれど、実は、意外と自分に優しくないのかもしれない。

自分はこの体とココロしか持っていないのにねぇ。

まぁ、これもそのうち検証していってみたいと思うのだ。

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