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スノホミッシュ合宿レポート#004〜2017-07-09

その日の授業は外で始まりました。
みんなで森の中を歩きます

途中で聞いてみました。
「ATの他に楽器やヨガやそういった何かをやっていない人に、どうATが使えるとアピールするか、そしてそういう人たちは、どういうアクティビティをすすめたらいいのか。

もちろん日々の生活に使えることは納得しているんだけれど、なにか説明しきれなくて」

でも、その質問をしている時に気づきました
「言葉にしようとしてなかったかも。。。」

そうしたらキャシーは
「そうかもね」
と、言いました。

その後も丘を登りながらのミラーゲームや、みんなを招待して立つということをやったあと、外でやりたいアクティビティはある?との言葉に

私は、ショッピングから帰ってくると、腰がだるいことがある、という
アクティビティを見てもらうことにしました

ウォーキングや散歩なら、3時間でも大丈夫なのに、洋服などを見たりして帰ってくると、腰が少しかったるい

早速、一人がショップの店員をかって出てくれました。

「いらっしゃいませ」と、話しかけられながら、洋服を見ているつもりで動き、店から出ます

そこで、提案がありました。
お店に入る時”自分自身が協調して動くことをお願いする”ことでお店に入って、洋服を見ることができる、というプランです

お店に入って洋服を見たい、という願いに向けて、自分という全てのレベルが、協力しやすい状態になることを選びとったわけです。

そうやってみると、結果はさっきよりも何か、余計なものがなくなった気がしました。

そして店員役のフィードバックはというと、最初は勧めたら、押しに負けて
買いそうと感じたけど、二回目はこの客は買わないと思ったそう

店員や店に入ることに対しての刺激が、私のカラダのどこかを緊張させていて、それが積み重なり、腰のだるさに繋がっていたのか?

そう推測したものの、いったいなにが私への刺激だったのだろう?と特定しようとする私に、キャシーは
「さあねぇ?」
とだけしか言いませんでした。

うまくいった今、うまくいかなかった原因を知ることは、必要ではないのです。
次にうまくいかなかった時の参考になるのでは?
そういうものも、ものによってはあるでしょう

しかし人も条件も常に変化しています

カラダココロ、魂、ヒトの全てのレベルにおいて、同じであるということはありえませんし、環境などもそう。

同じことをやるとしても、同じようにやることは、決してできないのです

それに、以前こうだった、という情報を持っているせいで、次の時に新しい目で見て情報を集めることができなくなったり

うまくいった体験にとらわれて、今の情報を拾わずにやってしまう、そうすると実際の現実に即していないために、自分自身すべてが協調している状態からはずれてしまうということも起きないとは限りません

なかなか面倒におもうでしょう?

でも、それは人が標準装備で持っている、すばらしい周りへの順応力、反応力からくるもの

そのおかげで、私たちはそんなに細かく口を出さなくても、生きて生活できています

その本来のデザインたちと協力することは、自分の望みを大切に扱うことにつながります

そして、自分を満たすことにつながります

そのアクティビティが終わると、キャシーさんがにっこりと言いました
「ショッピングで腰が痛くなる人にこれを紹介してもいいわね♪」

こういった日々のうごき
本を読む
フライパンをもつ

瞑想する
包丁を使う

歯磨きをする
顔を洗う

そんな何気ない、でも私たちの人生を作り上げる、小さな一コマの
うごきたち、そこに潜むわずかな居心地の悪さや小さな痛みや、カラダの、ココロの疲れ

その時の自分に丁寧に向き合い、そういった曇りを取り除くことで訪れる快適さや、それが積み重なった結果、自分の人生に訪れる変化を、私は言葉にしていなかったなぁ。。。

この午後のクラスを木陰で終えようとすると

キツツキが飛んできて、木の側面を見事に横ジャンプするところを、みんなにたっぷり見せてくれました

そして、帰ると待ってる、美味しいご飯♪

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