見出し画像

死についての所感

わたしは死ぬのが怖い。

わたしが幼かった頃、母がよく、
「死ぬのは怖くない。今すぐ死んでも構わない。死んだ後には天国も地獄も無く、ただ何も感じない。」
と言っていた。 それは母の本心で言っていたことだろうと思う。母は古く封建的な在日韓国人家庭に生まれた。家長である父が一番偉く、全てを決める。母は親の言う通りに女子校に通い、望まない結婚をし、子供を産まされ、父の赴任に伴って伝手も無い遠い国に連れて来られた(私たち家族はマレーシアに住んでいた)。そんな母が「死ぬことが怖くない」と言う気持ちは理解できる。死ぬのが怖くないというより、生きることを望んでいなかったのだと思う。

わたしはそんな母が怖かった。 日に日に背が伸び、毎日新しいことを知る自分。「生」を獲得する自分。対してわたしを育てている、「生」を獲得させているその母自身は「生」を望んでおらず、死ぬのが怖くないという。その対比が恐ろしかった、と今は分析できるが、実際に当時どう考えていたかは分からない。何にせよ、気づいた時にはわたしは死ぬのが怖くなっていた。

夜には「天国も地獄も無く、ただ何も感じない」状態を想像してよく泣いていた。夜は暗く長く、眠ると何も感じない。それが母の言う死後に似ていた。同様に、宇宙や深海、太古など、暗く遠いところについて考えると死を連想するので怖かった。今でも怖い。

反対に、実際的、現実的なものが好きだ。美味しいものを食べたり飲んだりする。人と会い、話す。知らなかったことを知る。そんな時、思考の主体は自分ではなく対象物・人に移っている。自分について考えないから、自分が死ぬことにも意識が向かない。今クラフトビールを作ったり、電機メーカーに勤めたりしている理由も同じだと思う。

でもそれはあくまで、死について考えないで済むから好き、というだけ。人生を賭して、死んででも作り上げたいものは自分にはまだない。いつか見つかるのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?