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1000字に有限化する

ウェブサイトに文字を連ねるということは、無限に文字が書け、投稿できるということである。それは、書く行為に困難を生じさせる。なぜなら文字数、投稿頻度が自由であるために、書きたいことがまとまらない。また修正が簡単にできるため、完成が不可能になるからだ。だから方針を述べる。それによって無限に思える書くことの有限化を試みる。

そのとき、手掛かりにしたいのは、清水幾太郎(1907-1988)である。彼は、社会学者であり、ジャーナリストでもある。G.ジンメルやE.H.カーの書籍の翻訳をしたりと学問的にも多大な貢献をしている。それにも関わらず晩年の思想的転回のせいで、急速に忘れられた知識人である。
私も彼の思想については触れない。しかし彼の著書『論文の書き方』に触れることで、どのように書くかを定めていきたいと思う。

清水幾太郎は、東京帝国大学の2年生であったとき、日本社会学会の機関紙『社会学雑誌』で外国文献を紹介する仕事をしていたそうだ。そしてその外国文献の紹介は数百ページの文献でも数枚の論文でも必ず1000字で行っていたという。
この書く行為を通して清水は文章の修行をした。そもそも学部生のしかも2年生のときにやっていたことに驚きを隠せないが、とても興味深いことを述べている。

清水曰く、1000字はとても短い。外国文献の紹介なのだから当然本は読まなくてはいけないし、書かなくてはいけないこともたくさんでてくる。しかしどのように書くか思案するなかで、読んだ大部分を捨てて、本質的なものを抽出していく。そして「自分の精神を通して、自分自身が書く」(p.7)ことになったという。

私も文章の修行として、まずは1000字からはじめたいと思う。どんなに書きたいことがあっても、1000字で言いたいことを言う。まとめる。また書く頻度も週に1度ぐらいで考えたい。1週間ゾウを結んでは、捨てて、また結び直して生成した1000字を投稿したいと思う。加えてテーマは誰かに依頼されているわけではないから、興味のもったことを自由に書きたいと思う。本や映画の感想とかも述べられたらと思う。今はこんな方針である。当然その通りにならないだろうし、改定されると思う。けれど、定める。

書きたいことは、頭の中にいっぱいある。文字にして有限化する様子を暖かく見守ってください。

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