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【映画】ラスト・マイル

映画『ラスト・マイル』を友達と見た。
わたしも友達も、シリーズ作品である『アンナチュラル』『MIU404』が大好きで、一緒に見ようと約束していたものだ。
好きな作品のシリーズであることはもちろんだが、ドラマを見ていなくてもこの作品単独で好きになっていただろう。

爆発の迫力や先の見えないミステリー展開はもちろんこの映画の醍醐味だ。しかし、私はこの映画の余韻のようなものに鳥肌が立ち、映画が全て終わったあとに、目に涙を浮かべた。

物語の舞台は外資系の大手物流会社だ。
ドラマ『アンナチュラル』でも、「誰がために働く」というエピソードで過労死を取り上げている。シリーズの製作陣が過労に思いを持っているということは知っていた。

この映画にも共通のテーマが出てくる。しかし「仕事に勤しみ己の人生や家族を犠牲にした」という描き方とは少し違うと感じた。

近年の物流会社の人手不足や過酷な労働環境はホットな話題だ。インターネットショッピングを駆使する現代人なら誰もが身近に感じられるビジネスとも言える。物語の中で、相次ぐ爆発事件によって物流システムは混乱に陥る。
しかし「消費者」の姿は「企業の客」という姿でしか描かれない。世間が混乱に陥るという描写はあるが、恐怖に慄く市井の人びとや拡散されるインターネットのデマは、後の主要登場人物の展開に必要な程度にしか出てこない。

私は、死傷者が出る重大事件が起きているのに、主人公たちに被害者に寄り添う姿がないことに初め違和感を覚えた。私が今まで見てきた同シリーズのドラマは被害者に視点を置いているように感じていたため、まるで正反対だと思ったからだ。

しかし、この映画が映し出しているのは、目の前の仕事をひたすらにこなす人々だ。

私は保険会社に勤めている。直接お客様と接する仕事ではないが、業務の中で死傷者が出る事故を書面上見ることがある。不幸な事故もある。
しかし私が一件一件について涙を流すことはしない。それは私の仕事ではないからだ。

この映画の中で目の前の仕事をひたすらにこなす人々の姿から浮かび上がってくるのは、「企業」という、力を持ったままさらなる力を求めて走り続ける、実体のない巨大な概念だ。

映画が表しているのがその「恐ろしさ」なのか、「抗えなさ」なのか、私にはよくわからなかった。
ただ、自分がそれを感じ取ることができること、すなわち私もその一員だということ自体に、流れるエンドロールを見ながら気づき、鳥肌が立ったのである。

この映画を見たのが企業で働く前の自分だったなら、このように、ここまで感情を揺さぶられることはきっとなかっただろう。

自らの変化を感じたと同時に、この映画を作った人たちはこれを誰に見てほしかったのだろうと思った。
もしかしたら、私が感じたのは製作陣の意図しない感情なのかもしれない。

見る人によって感想が異なるのが映画の醍醐味とも言えるだろう。私は自分の身に湧き上がったあの鳥肌を覚えておきたいと思った。

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