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自信とは

先日3人の素晴らしい経営者の方々に囲まれて、食事をしてきました。

それはそれは有意義な時間で、頭スパークの状態が長時間続き、お話しただけなのにビジネス本を一気に数冊読んだような充実感を感じました。

たくさん学ぶことがあったのですが、その中の一つを共有したいと思います。

それはズバリ、

自分を信じること

私は長い間ほとんど自分に自信がありませんでした。「自信」というものがどういうものかも分かりませんでした。

ここ数年、自分と本気で向き合ってきて、自信を持てていると思っていましたが、まだまだなんだなと3人と話して思い知らされました。

過度な自信は良くないですが、結構世間一般が思っている以上に、自信は高くあったほうがいいと私は思います。
そもそも自信とは、そのまま「自分を信じること」です。何があっても私なら大丈夫!と思えることです。
「私が一番だ」「私はあの人よりすごい」「私は悪くない」とは少し違います。

私がまだまだ自分に自信がないのだと自覚できたのは、ある社長さんからの質問です。
「あなた、自分の能力を使ってお金をたくさんいただいていいと思う?」
私は、即答でNOだったのです。
私なんかが、たくさんお金をもらっていいの?というのが私の心が出した答えでした。

するともうひとりの社長さんが、
「親に感謝しているなら、生まれてきてかけてもらったお金を、あなたが受け継いだ才能と経験とポテンシャルを信じて、世の中のためにたくさんあなたが稼がなきゃ。」
と言ってくれました。

世の中を大きく動かしているのは、自分に自信があって、自分の歴史に感謝できている人だと経営者3人に囲まれて分かったのでした。

私は、自分が持っている力に感謝しています。私の努力だけで持てたものではないのです。

例えば、両利きであること。元々左利きである私は、母の教育のおかげで小学生になる前に右手も使えるようになりました。今では両方の手で文字を書くことができます。スポーツは有利と言われる左利きのまま。両方の手をバランスよく使うことが当たり前になった私は、右脳も左脳もバランスよく使っていると思います。

そしてこれは、小さい頃の私の少しの努力と、母の教育と忍耐と、私に受け継がれた不思議なDNAのおかげなのです。(親族に左利きはいない気がするので更に不思議…)

私の能力を信じられないのは、両親と私に受け継がれるDNAをくれた先祖代々の努力まで信じられない事になります。

日本には謙遜するという文化がありますね。奥ゆかしくて、ステキだと思います。でも、謙虚さは必要でも、謙遜し過ぎは必要ないかもしれません。自分に受け継がれている力と、両親と私に関わってくださった先生方の努力を謙遜したくはないと思うからです。そして何一つとっても、私が一人で得たものはないからです。

3人の経営者とのお話で、自分を信じることとは、私が作られるまでの歴史に感謝し、ありがたくその恩恵を享受することでもあると分かったのです。私に受け継がれたもの、両親や先生方が私につけてくれた力、させてもらった経験を、自分を信じて=私のDNAを信じて、世の中に生かすことがきっと使命です。

これから私は、私にかけてもらった愛情と歴史に感謝し、自分の能力を信じて、世の中のために動いていこうと思います。

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