思い返す時には幸せであってほしいな。

推しとか担当とか。そもそも、推しって何を基準に選ぶんでしょうね

お顔が好き、人間性、歌が上手、あの演技がサイコーだった、お話しして素敵な人だった、ファンサがいいから、なんとなくetc.

私は、お顔がとてつもなく好きだった人もいたし
笑いのセンスが大好きで応援してた人もいたし

でも共通してるのは、
やっぱりそれまでの過程で見てきた大好きな「譲れない部分」がなくなってないこと、
自分の中で「こうあって欲しい」という姿が変わっていないこと、
そこが信じられる限りは、同じ気持ちでいられるってことです。

私の大好きな「きみ」がなくなっちゃったと感じたり
求めていた魅力と方向性が離れてしまった感じたとき
その場所を手放そうと思うんですけど

簡単に割り切るのは難しいじゃんね。

数年前に、7年応援した推しとさよならするとき、
自分が応援してきた7年間が0になってしまう
なかったことになってしまう気がして
その虚しさがとっても苦しかった。

だって、たしかにその人のことが
世界で一番好きだった時間があって
心が動く瞬間が何度もあって

心も費やして、多くの時間も注いだ
その時間に意味がなかったとは思いたくない。

推し活なんて、所詮趣味なので嫌ならやめればいい
いかなきゃいい、見なきゃいい
それまでですが、

そうじゃないんですよね。
やめたい、辛い、苦しい、ないわけじゃない。

でもどんなことがあったとしても
その後思い返すこの時間は
できれば、幸せであったと信じたい。

嫌いになってその場所を去ったとしても、
自分が飽きただけだとしても、
心を費やしたその時間と思い出だけは、
綺麗なものであってほしいな。

思い出って美化されるので、
自分の中で縋ってしまったり、心の拠り所にしてしまったりするので、
思い出さえ信じられないと
苦しくて立ち上がれなかったりする。

とっても厄介だけど

その思い出があるから前に進むことができる。
いや、そうあってほしい。

今の時間の価値なんて、今は理解できないことの方が多いんじゃないでしょうか。

個人的には人を応援するのは難しい。向いてない。
あくまでも人と人なので、感情があって、
考えがあるので、
「私はこうだよ!」ということを押し付けがましく語るのは申し訳ないなぁ、と思うからこそ、
想いを伝えるのも実は苦手です。

多分世界で7番目くらいに人を応援するのに向いてない。残り6人知らんけど。

でも人生の半分オタクをしててわかるのは
大切なのは、いつまでも推しに対して敬意を持って応援すること、これだけ。
その敬意に何があたるか、を考え続ける必要があります。
たぶんそれは、この生活を終えるまでずっとね。

私は、今の推しがくれた「推しのファン」っていうのがとても大切な居場所なので、ここがホームなので。

自分の中で、その気持ちに報いることができたと思う日が来れば、それが証明になるんだろうな、と。

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