見出し画像

「終わりの町で鬼と踊れ」3話-2

花の島は銃器が守り

 次の日の朝早く、七穂がいないのに気がついて、俺は家を出た。
 俺たちの家は、元はアイランドパークという名で運営されていた公園の中にある。渡船場からは少し遠い、山の上だ。

 昔は花やバーベキューや貸別荘なんかを目当てに街から人が来ていたらしい。
 俺の両親は島の人間じゃなかったから、かつて貸別荘として使われていた建物に住んでいる。
 外から来た他の人たちは、山の中に自分たちで家を作ったり、キャンプ場のコテージに肩を寄せて生活していたりするから、これはやっぱりかなり待遇がいい。

 朝日は昇り始めたばかりで、辺りはまだうっすらと暗い。
 家の目の前の開けた場所では、緑の草にあふれている。その中に、ちらほらと咲き始めた花が揺れていた。
 青々とした海と、博多の街を背景に。

 ここには昔からコスモスの花壇があったらしい。今も雑草と一緒にすくすく育っている。もうすぐ満開になるだろう。

 パーク跡にはたくさんの花壇があって、あちこちで食料を植えている。
 ここは管理する人手が足りなくて、ほったらかしになった。そのうちやっぱり、掘り返されるのかもしれないけど。
 まあ俺は、コスモスだって食えるから、食うんだけど。

 緑の群れの脇には防人の時代の狼煙台があって、その先を少しのぼると、広いレストラン跡がある。
 俺たちの家よりも高台になるここは、海を見下ろして、遠く博多の町が見渡せた。ひときわ背の高い福岡タワーがとんがって建って、ドーム球場やシーホークホテルが見える。その向こうを、朝日が昇ろうとしてた。

「七穂」
 ウッドデッキに座り込んだ小さな影を見つけて、俺はそっと呼んだ。
 気がつくと七穂は、いつもここで、一人で座っている。
 何かあった時に誰かに助けてほしいから、一人にはなってほしくないけど、一人になりたい気持ちもわかるから、俺は何も言えない。

 七穂は膝を抱えて、海の向こうを見ている。海の向こうの、朝日に照らされた鬼の街を。
 俺が隣に座ると、七穂は顔をあげて、俺を見た。いつもと変わらず、明るい顔で笑う。

「ねえ、向こうの話きかせてよ。亨悟くんは元気だった?」
 取り繕ってるのなんて、分かりきってる。けど俺は、気づかないふりをした。肩をあげて、おどけて言う。
「ああ、憎らしいほどマイペースに元気だよ」

 妹には、いつも町であったことを色々話して聞かせていた。
 外には出られないかわりに、たくさんの話をした。だから亨悟に会ったことはないが、まるで友達のことのように奴の無事も聞きたがる。

 でも、天神に行った話しなんかはできなかった。この島からは考えられないような、大きな道路とビル群に見降ろされた街の様子は、七穂には想像もできない場所だろうから、話のネタにはなるんだけど。
 危ない場所だと言うことは知ってるはずだから、言えない。

「何かおもしろいことあった?」
「ああ、知らない奴に会ったな」
「隠れてる人がいたの? お兄ちゃんも亨悟くんも知らない人?」

 俺と亨悟の隠れ家は自転車で行ける範囲、福岡市内のほとんどあちこちにある。ここみたいに、拠点シマを持っている連中を刺激しない程度に、俺たちは勝手にうろうろしながら、あちこちの情報を集めている。
 かと言って、俺が何もかも知ってるわけじゃない。妹は兄を買いかぶっているところがあった。

 すごいと思われていることをあえて訂正する必要もないから、そのままにしてるけど。
 ――それにあれは、俺じゃなくたって、知らない奴のはずだ。

 人と群れず、慎重に隠れているような人もいるし、俺たちみたいなはぐれ者を襲って略奪して生きてる奴らもいる。炭鉱のヤクザたちだけが俺たちの敵じゃない。
 天神が危ない場所だと知っていて足を踏み入れたようには見えなかった。炭鉱ヤクザを知らなかった。あのうるさい奴らを。

「よそ者だな。どこから来たか知らないが」
 たまに、亨悟みたいなのをこじらせて、土地を逃げ出していく奴がいる。逃げ込んでくる奴もいる。

「亨悟くんみたいな人?」
 同じことを考えてた七穂に俺は笑う。

 この島の決まりでは、十歳になって、本人の希望と親の許しがあれば、島の外の様子を見に行くことが出来る。外界の現状を知るためと、大人になったとき島のために働けるよう、準備を始める。

 十五歳を過ぎれば、学校を追い出されて、どうやって生きていくか決めないといけない。
 男はだいたい自警団に加わるのを求められるし、そうでなければ、食料のために農業をしたり、なんらかの技能を身につけないと島は居心地が悪い。
 役に立たない奴はいられない。きちんとやっているのか、常に誰かの監視の目がある。

 でも亨悟みたいに、この危ない土地を渡り歩く方が楽だと言う奴もやっぱりいるのだ。炭鉱の奴らはもっと容赦ないだろうから、軍隊のような所から逃げたかったのかも知れないが。
 やつが、スパイでなければの話だが。

 よそに行けばもっといい場所があるかもとか、いいものがあるかもとか、期待する奴もいる。吸血鬼のいない、安全な土地があるかもと錯覚して、旅をして歩く奴もいる。

 だが実際、よそものは土地を追われた奴だ。集団の中で何かをやらかして追い出されたか、土地を移動しながら略奪をする奴ら。

 ――だけど、そういう感じには見えなかった。あの目。

 七穂の言うように、あの少女も、小さな輪で見張りあってるような、人間たちの目が嫌になったのかもしれない。

「俺と同じ年くらいに見えたけど、女だった」
 七穂は目を輝かせた。
「女の子で探検家なの?」
 探検家、という言葉に俺はふきだす。
 ――七穂は、自分が島の外に出られないから、うらやましいのだろう。

「ああ、強そうだった」
 強かったとか、二度も助けられた、とは言わない。
「すごいなあ、かっこいいなあ」
 潮風に、七穂の髪がゆれる。

「いつか会えるかなあ」
 七穂は、一緒に来なかったの、とは言わなかった。亨悟と同じで、よそ者はこの島には来られない。

「気づいたらいなくなってたよ」
「そうなんだ。残念。なんていう名前?」
「……紗奈」
「かわいい名前。また会えるといいね」
「そうだな」

とりあえず、俺はそう応えた。
 眼鏡の奥の、意志の強そうな目が脳裏に甦る。頑固そうな顔の少女だった。

「戻るの?」
「ああ、向こうの動きに目を光らせとかないと。今度は図書館に行って本を持ってきてやる」
「絶対に、無理しないで」
 子供に言い含めるように、七穂は言った。俺は笑いながら、はいはい、とうなづく。それよりも、と俺は言い返した。

「大人しくしてろよ。何があっても走るな。動物に近づくな。イラつくことがあったら、まず深呼吸だ。ストレスためたらだめだぞ。また戻って来た時に何でも聞いてやる」
「分かってる」
「たまには、散歩して運動もしていいけど。絶対に走るな」
「分かってるよ」

 七穂は、俺にしがみついた。傷が痛むし、サランラップがごわごわしたけど、俺は七穂の細い肩を抱きしめた。
 遠く、鬼の棲む街の方から、朝日が昇る。

「分かってるから、言いつけ守るから、絶対帰って来てね」
 七穂は、震える声で言った。

 家に戻って朝飯を食べた。朝炊いたばかりの白飯と、芋の入ったあつあつの味噌汁は、外では絶対に食べられないものだ。
 七穂のおしゃべりを聞きながら食べる飯は、腰を落ち着けてゆっくりできるおかげか、身に染みるほどうまかった。
 学校に七穂を送っていくと、別れ際、七穂は俺に小さな包みをくれた。

「お兄ちゃん、これ持って行ってね。いつもの」
「サンキュ」
 俺は中を確認せず、とりあえずリュックにしまう。

 妹の小さな背が学校の中に消えていくのを見送ってから、診療所に立ち寄った。朝早く、まだ患者は誰もいなかった。

「母さん、抗生剤と痛み止めくれ」
 診察室で忙しそうに棚を片付けている母は、俺を振り返っていたずらっぽく笑う。こういう顔をすると、七穂とそっくりだ。

「怪我してるの? 昨日七穂が診たでしょう。また騙したの?」
 人聞きの悪い。実際たいした怪我はしてない。
「俺じゃない。俺を助けてくれた奴」
「女探検家さん?」
 情報が早すぎないか。

「……そうだよ。もし会ったら渡す」
「見つけたら、ちゃんと助けるのよ」
 母さんは俺が昨日持ってきたエコバッグを差し出した。俺は受け取って中身を確かめる。
 昨日渡した薬のかわりに、島で培養したペニシリンの小さな瓶や錠剤が入っている。用意がいい。俺が言いだすのなんて読んでたんだろう。

 はたしてこれをあの少女がうまく使えるのか分からないけど、痛み止めくらいは飲むだけだ。
 痛がってる様子はなかったけど、俺みたいに意地っ張りなのかもしれない。
 会えないなら会えないで、別にいい。俺が使う。

「まず、怪我をしないようにしてね。あなたも、誰も。亨悟くんもよ」
 母さんは説教したくてたまらないようだった。これはさっさと退散するに限る。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。分かってるって」
 俺が早口にたたみかけるように言うのを、母さんは苦笑した。

「ねえ、本当に、無茶しないでよ」
 静かに、言い含めるように言った。

「母さんは、仇討ちよりも、あなたに生きていてほしい」
 その言葉に、違う意味も含まれてるのを俺は知ってる。

 俺が外で吸血鬼と戦って、怪我したり死ぬのが不安なだけじゃない。母さんは、俺が吸血鬼を殺すのが嫌なんだ。
 俺たちは、あいつらを吸血鬼と呼ぶけど、本当はあいつらは妖怪でもなんでもない。人間だ。

 母さんは看護士だからか、吸血鬼に同情的だ。口には決して出さないけど。

 昔、と言っても二十年くらい前、海外で人の顔を食ってる人間ヤツが見つかったりして、大騒ぎになったらしい。 
 襲われた人は血のほとんどを失って死んでいた。ドラッグのせいだとか、異常者だとか大騒ぎになった。それから、同じような事件がどんどん増えた。あっという間だったらしい。

 模倣犯だとか悪質ないたずらだとか言われていたらしいけど、世界で増え続け、明らかにおかしいと世間が騒ぎだす。
 同じ頃に、多臓器不全で死ぬ人間が増えた。これがどうも同じものが原因だとわかるのに、一年くらいかかった。その間にどんどん広がっていった。

 突然変異なのか、どこかの国の細菌兵器なのか知らないが、ウイルスのせいらしい。パンデミックだと大騒ぎになったそうだ。
 おかしな奴に噛みつかれると感染して、全身の機能を損なって、たいていの場合はすぐ死んでしまう。

 空気感染も飛沫感染もしない。唾液感染だとか血液感染だ。それが分かるのにも時間がかかった。
 狂犬病の亜種みたいなものじゃないかって言われているけど、結局治療法なんか見つかっていない。

 吸血性紫外線過敏症だとか、敗血起因性吸血症状だとか、もっともらしい病名がつけられたようだけど、そのへんの記録はぐちゃぐちゃになっていてよくわからない。

 噛まれて、運よく生き延びても、罹患したら前と同じではいられない。

 この国は、世界での混乱に少し遅れたけれど、結局封じ込めに失敗した。
 一度感染者が外に出てしまえば、それはもう、止められなくなった。
 この国の狂気は、緩慢としたものだったに違いない。だけど一度火が付いたら、止められなくなるのは想像に難くない。

 静かな同調圧力は、終末の前だって、今だって同じに違いない。

 罹患者は異常者だと決めつけられ、日に弱いから、魔女狩りのような事も行われたと聞く。 
 もともと病気で外に出られない者も、日に当たっていないからと言って、外に引きずり出された。それだけでなく、虐殺されることもあったようだ。

 罹患者には意志がある。
 少しばかり凶暴になったり、異常な身体能力を持ったりするけど、知性や知識を失わない。
 日光に弱く、生きものの血が必要だ。特に人間の。味覚や体質が変わって、それ以外のものを受け付けられなくなるらしい。それはやっぱり吸血鬼だ。

 人間なのに、人間を襲う。
 警察や自衛隊も生存者を保護していたけど、彼らの中にも犠牲者が出たり、過激派に武器を奪われて、暴動が起きた。

 結局、ウイルスと俺たちの生存競争が膠着して、今の状況になった。

 吸血鬼は知恵を絞って人を襲うし、生き延びるために人間を家畜にしようとする。あいつらがいる限り、俺たちは堂々と街を歩けない。
 化け物じゃないから、十字架とかお祈りなんてものも、まったく効かない。効くわけがない。

 あいつらを全部殺して、ウイルスを消しされば、安全に暮らせるようになる。失われた、俺の知らない文明は二度と戻ってこないだろうけど、怯えずに生きていけるようになる。七穂だって、今みたいに息を詰めて生きていく必要はなくなるはずだ。
 俺はそう思ってるけど、やっぱり母さんの前では口にできない。母さんはそんな俺の気持ちを知っていて、お互いに、肝心のことは何も言わない。

 ――父さんは、吸血鬼に殺されたのに。

「分かってる。俺は生きて、母さんと七穂を守る」

 父さんとの約束だ。
 妹と、母さんを守れ。それが最期の言葉だ。

#創作大賞2024

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?