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鎌倉の御曹司

フェラーリを乗りながらコンビニでお弁当を買うような男性だった。臆面もなく大きなバーキンを持つ感覚を持つT氏と出会ったのは、銀座で働き始めて2年目の冬だった。ヘルプで着いたその席では既に高級なシャンパンが3本開いていた。周囲のホステスの高揚感と反比例して、彼はどこか疲れていた。まだ40代前半だったと思う。話を聞いていく内に、鎌倉エリアで大きな不動産を保有する御曹司だという事が分かった。

「今さぁ、元嫁の慰謝料請求が激しくて大変なんだよ。」

派手な人生を歩んできたらしい。違和感を憶えたのは、その若さと反比例する”虚しさ”だった。こういう派手な金持ちは得意でなかった。だから深追いはしなかった。それでも、なぜか彼は私が移店したお店に来てくれる様になった。初めて係を貰った日に、他店の黒服が一緒に付いてきた。銀座に来ればポーターが連携してホステスや黒服に情報を流す、そういう人なのだ。自分はカフェオレを飲みながら、シャンパンをオーダーして30分で帰っていった。そんな派手な飲み方をしながらも、いつもどこかに違和感があった。

サッカーのワールドカップを一緒に観る事になった。彼の家は鎌倉だった。あいにく風邪を引いていた。それでも約束だからとT氏のマンションに向かった。広大なマンションはサーフィン用のアイテムで埋め尽くされていた。宅配ピザとシャンパンを片手にテレビ画面を前に、二人きりになった。T氏は離婚直後と言えどフリーだったし、私も特別な人はいなかった。それでも、「今はタイミングが違うんだ」というサインがどこかにあった。キスはしたかもしれない。それでも、それ以上の行為に至る事は無かった。大きなベッドの中で、腕にくるまれながら、彼の虚しさがつまった部屋の中で眠った。寝室にはお札が張り巡らされていた。風邪からの高熱なのか、それ以外の影響なのか、苦しさと戦いながら朝を迎えた。

銀座を辞めてしばらく連絡をしていなかった。もう会うことは無いと思っていた。

「どうしているの?」


しばらく使用していなかったメールboxに、5年ぶりにT氏からメッセージが入っていた。銀座にちょうど復帰したタイミングだった。驚いた。

銀座みゆき館で5年ぶりに会ったT氏の横には、黒い大きなバーキンが鎮座していた。タイムスリップした様な心持ちで、対面に座った。現在は結婚して子供も一人いるという。そんな近況を語りながら、やはり彼はどこから疲れていた。私は複雑な気持ちになった。彼が何を求めているのかも、私が何を求めているのかも、正解は無かった。

人には様々なタイミングがあるのだと知った。10年を超えて今は月に一回会うになった。それでも、T氏はいつも虚しさを持ち合わせていた。私と会うことは、その虚無感が埋まるのだろうか。そういう運命なんだ。あの人は。フェラーリとバーキンの裏側を楽しんでいる。

何の約束も無い。そんな関係が好きだ。銀座には、溢れている、そんな繋がりばかりだ。不確かな中で今日も夢を観る。特別な人だけに。





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