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街鯨

街クジラだ。
液体化した言語空間の中では、僕の声も活字になって口から流れ出ていった。巨大な言語の塊=クジラの形をしたコロニーが僕の頭上にある。頭上といっても、言葉の上での頭上だが。実際の僕にはカラダの順序というものがなく、頭、胸、腕、といった僕が持っている語彙の中でしか体を把握できなかった。

飛ぶぞ、モロ。
相棒のマナが言う。マナの言葉も僕の認識の中で活字になって視界に溶けていく。僕は飛んだ。マナも飛んだ。すると、街クジラの中央繁華街→New渋谷のスクランブル交差点の真ん中に僕たちは立っていた。右横のアドレス欄には、「日本海東京島渋谷街クジラ new渋谷スクランブル交差点前」と表示されている。スクランブルというだけあって、さまざまなプレイヤーの影が信号の光に合わせて行き交っている。

まだ映画がスクリーンで放映されていた時代の細田守作品みたいな感じだ。僕は学校でも特に二次元作品ばっかり見ていて、あの頃の日本のカルチャーの盛り上がりの感覚が、アーカイブの中に残っているのが好きだった。新しい文化、三次元文化はあんまり見ていても、圧倒的すぎて面白くない。隣にいるマナは、一次元文化、小説とかが好きだったからたまたま見ている図書室が同じだった。僕たちは裸眼でそれらのカルチャーを摂取する。

クジラというメタファーはなかなかに強力で、流動的な言語空間の中でも、プレイヤーたちがコロニーを成して動き回るある程度まとまった広い空間を指し示すのに好都合だった。空間言語学の教科書に書いてあった。

空間言語学とは、言語が持つ複数の意味のつながりや文脈を生み出す力を利用した空間設計を探求する学問である。空間言語によって設定された空間は、従来の人間の視覚的認識のように立体的に表現することが可能である。同時に、空間をデコード、つまり一次元の形に変換することで文字の形で三次元空間を「読む」ことができるようになる。言語で作られた世界は、小説を読むようにその中を旅できる。

『空間言語学概論』

もっぱら僕らの趣味は、平面好きのオタクとして、訪れた街クジラのさまざまなコードを読んで、斜め読みしていくとことだった。立体好きのように街を歩いてみたり、見回したり、何かを食べたり、写真を撮ったりしない。僕たちはただひたすら読む。斜め読む、飛ばし読む。朗読して味わう。

New渋谷はかつての東京23区の中の渋谷区にあった町並みを残していて、スクランブル交差点を抜けると色々な店があった。僕は本屋を探してみたけれども、立体本しか売っていなくてちょっとショックだった。僕らの趣味はまあ、最先端とは言えないしややオールドスタイルな感じだった。いくなら神保町じゃない? マナが言った。せっかくきたけど、また飛ぶ? うん。僕らはまた飛ぶ。

東京島の言語構造を遡って、色々な街クジラが泳いでいる海を見る。どれも優雅に、それぞれの街をのせて、日本海を泳いでいる。渋谷街クジラは黒い肌をしていて、クリクリとした大きな目。巨大な体表にはネオンや企業のロゴが貼られている。貼り替えられることはなく、下から貼ってあったものの上から何度も重ねるように貼られている。神保町があるのは、千代田街クジラで、白く細長い大きなクジラだった。背中には鋭く高いビルがあると同時に、ビルの麓には、深い大きな森が見える。森の外れには昔ながらの古本屋や楽器屋が並んでいる店があり、その真ん中に大型書店が聳えている。

きっとあるかなぁ?
何読みたいの? マナが言った。
思いつかないけど、本の匂いが嗅ぎたいな。
僕らは飛んだ。

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