もし余命3か月と宣告されたら
生きていく上で定期的に考えたい問いについて書いていきます。
「もし余命3か月と宣告されたら、あなたはその3か月をどのように過ごしますか。」
学生時代に受けた福祉関係座学講義の期末試験、問題用紙に書かれていたのはこの1文だけでした。
論述問題とは聞いていたものの、自由度が高すぎる問題に少し面食らったのを覚えています。(4年前期で他学科の講義だったのでそこそこテスト勉強してました)
二十歳そこらの大学生、考えたこともない問いにはじめは頭を悩ませました。
長いようで短い3か月、どうやって人生を締め括るのか。
今思えばその場にいる数十人の学生が静かに自らの死について考えているなんてすごい空間です。
私は悩んだ末に「思いつく限りの会いたい人に会い、行きたいところに行く」と書きました。
当然もっと詳しく書いていますが要約するとそんな感じです。
お世話になった人、大切な人、好きな人に会い、たくさんの景色を見てこの世に思い残すことを無くそうという考えです。
試験時間いっぱいに時間をかけて書き、返ってきた評価はAでした。
今思えば、会いたい人に会い行きたい場所に行くというのは死を目前にしてなかなかのハードスケジュールを組もうとしている、すごい行動力です。想像しただけで体力を消耗する勢いがあります。
人の考えは数年でけっこう変わるものですね。
余命3か月。
今ならどう使うでしょうか。どう使いたいでしょうか。
20代半ばの今の私なら、行動範囲的には普段の生活圏を出ないと思います。
家にこもって家族と写真でも見ながら人生を一通り振り返りたいです。たぶん1週間足らずで終わると思います。
で、身の回りの物をある程度処分して、後はひたすら何か書きたいです。
noteを書いている理由のひとつでもあるのですが「考えていたことが無かったことになる」のがめちゃくちゃ怖いんです。
忘れることも怖いのに、死ぬなんて本当に何も無いじゃないですか。
だから死を目前にして考えていること、昔を振り返って思うこと、未来の想像、親しい人への手紙、色々書くと思います。
書くことに時間をたくさん使いたいです。
読んでくれなくても構わないので、書きたいです。
ひたすらひとりで書くのはたぶん無理なので、ふつうに家族と生活している傍ら書きたいです。
書いたものを棺に入れていっしょに燃やしてほしい。
とりあえず、今考えるとこんな感じになります。
きっと数年経って同じことについて考えても、全然違う答えになるんだろうなあ。
突然事故死とかするかもしれないけど、こういうことを考えているといつか役に立つ時が来るかもしれません。
因みになんですが、私は今普通に健康体です。死亡フラグ記事ではないです。
感染症により激動している昨今、生や死への考えを通して自分自身と向き合ってみてもいいかもしれません。
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