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看護師の徒然なるままに〜自己犠牲の気持ち〜

こんにちは
今日も感染症で医療逼迫ですね!
やってらんねえよ!と思いながらも働いている方は看護師限らず多々いらっしゃるのではないでしょうか

みなさん、『自己犠牲』という言葉をご存じですか?
わたしは高校生の頃にこの言葉を知りました

わたしはAO入試で大学の看護学部を受けたのですが
その時に『どんな看護師になりたいか』という小論文(だったかな)で
「マザーテレサのような自己犠牲の気持ちでウンタラカンタラ」
と熱く認めたのを思い出します

自己犠牲(じこぎせい、self-sacrifice)とは、何らかの目的や他者のために、自己の時間・労力・身体・生命をささげること。

Wikipedia

なんだか『自己犠牲』と『看護』って似ている雰囲気を感じます、、

みなさん、自己犠牲のお気持ちで看護、してますか?


わたしは、していません!!!!!
してたまるか!!!!!


看護師経験が重なれば重なるほど、わたしのように思う人が多くなってくるのではないでしょうか、、、同調圧力

金だ!!金!!金のために働いている!!!!


給与明細を見たときに
「まあ、こんなもんか、ふん」と思えるために働いているのではないですか!?
(決して給与明細を見ても満足はしないのである)


看護師、という仕事は
いかにマルチタスクをタイムマネジメントして効率よく、かつ事故なくこなすか
という 仕事できる階級 の上級に属していると日々感じます

看護師というお仕事をされている方はこの階級に属する方が多いと思います
最初はできなくても、みんな徐々にできるようになっていく不思議な環境、、

時間内に仕事ができればその分のお給料をもらっているので、自己犠牲の気持ちなんて芽生えやしないです
ただ、時間外によく分からないクレームを受けたり、不安なお気持ちを傾聴したり、家族からの電話対応したりしている時には自己犠牲の気持ちが芽生えます

看護師といえど、自己犠牲の気持ちなんぞ持たずに看護している人もおります、


ただ、やはり、このコロナという感染症においては
なんだか違うものを感じています

わたしは現在常勤勤めをしていないのですが、
ここ数週間でのコロナ感染者の増加と、SNS等で見る医療従事者の医療逼迫に対する投稿を見ていると、胸が苦しくなります

あっちもこっちもコロナにかかり、シフトはグダグダ、勤務者数を抑えるだけで精一杯、休日なんて体力回復に勤しむのみ、急にシフト変更(発症OR濃厚接触者で出勤できない)があるかもしれないと思うと遊びに行くことも憚られ、給料はさほど増えず
さらにはPPE(帽子、ゴーグル、フェイスシールド、顔に食い込むマスク、ガウン、手袋、高感染リスク)をしたまま体位変換、更衣、おむつ交換、シーツ交換、トイレ介助、ルート確保、点滴交換、内服管理、食事介助、クレーム対応、環境整備など、
マルチタスクをタイムマネジメントしつつ、事故の無いように
導線(不潔、清潔)を考えながら、血の巡りが悪く深い呼吸もできない状態でこなす

今の医療の状況は医療従事者の自己犠牲の上で成り立っているものだと思います


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