見出し画像

【梅田 蔦屋書店】途方もなくて、怖くて、愛おしい時間

大阪は梅田の蔦屋書店に初めて行った時の高揚をどうしようもなく覚えている。

週末、緊急事態宣言が明けて人々が緩やかに流れを取り戻しつつある最中、梅田駅の中のルクアイーレの9階へ続くエスカレーターを登りきった時、360度の深い茶色の木の温もりと背の高い本棚を前にただただ圧倒された。室内だけど、人もそこそこいるけど、深く息ができた気がした。

それからというものことあるごとに梅田の蔦屋書店に行った。敷き詰められた本に円形の劇場のような華やかさを思わされ、くるくると回ると水槽にいるような心地よさがある。そしてふいに手に取る一冊。それを何度も繰り返し、さまざまな感情が混ざっていく感覚にどっぷりと浸かる。
お目当ての一冊のために蔦屋書店に向かってはさらに読みたい本が増えて、ほくほくと何冊も抱えて買って帰るという生活。

そんなある日のこと、目が覚めても起き上がるとなく、空腹感があっても食べる気にならない晴れた日のこと。
動くのは面倒だったが、何もしないのもなんだか違う気がして、のそのそと駅に向かったのは15時過ぎ。
妙に席が空いている御堂筋線で何もせずに、ただ梅田に輸送されるのをじっと待った。
電車を降りて人に連なり、エスカレーターのいくつかに断続的に乗り継いでいく。周りの声は声というより音に聞こえるものなのだなとぼんやり思った。
エスカレーターを登りきってついて、あてどなく何周もする。これといった本が思い当たらない。本棚と自分のリーチはいつだってそんなに変わっていないはずなのに、本棚から自分が遠い気がする。
そんなこんなを何周も繰り返していた時、ふと、目が止まった。

『こころの旅 須賀敦子』

細くてつるつるした白い本。よくわからないがなんとなくしっくるくる絵の表紙。パラパラとめくる。断片的に現れてくる言葉のしっとりしたテンポの良さや、本にまつわる言葉、そして様々な地名になんとなく目が離せない。その中に、ちょうど本の中ごろ、語りかけから始まる一遍があった。

「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」

立ち尽くした。

絶望なのか希望なのか分からない衝動に、動かないことしかできなかった。朝から感じていた気だるさも、食べることを欲しない空腹感もその瞬間には何もなかった。続きを一度読んで、しばらくそのままでいて、また最初に戻る。

「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」

なんて途方もないんだろう、なんて怖いんだろう、そしてなんて、きっとまわりまわって、愛おしい時間なんだろう。そっと本を閉じてレジへ向かう。
気がついたら、体はじんわりと軽くなっていた。


********************
初めての人と会っては話せかったいくつものことを思って、仲良くなってきたと思っては距離感を間違えたのではないかと反省し、長い付き合いの人との言葉にできないもやもやをもてあそぶ。
そんなときに取り出しては呼吸を整えてくれる一冊です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?