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この一年何やっても身に入らんかったけど、やっと踏ん切りつきそう

みかみです。
思うところがあったので、きょうの日記を簡単に書き留めます。

実はこの1年間、どこからどこまでの1年間かというと、大学3年生の後期後半から今まで、本当になんにもやる気がでなくなってしまって、本当はやらなくちゃいけないことや、済ませないといけないことを、周囲に迷惑をかけながら後回しに後回しにとして生きていました。
申し訳ないなとは思いつつも、それ以外の方法をとることが気持ち的に無理で、必要最低限のことだけして毎日をやりすごしていました。

なんでそんなにやる気でなかったん?っていうと、自分が今まで信じてきたものを信じることが怖くなったからです。例えば今まで青色だと思っていたものに対して、他者からいやこれは赤色じゃないの?とか黄色と思いたい人もいるかもしれないのになんで青って言うの?といった言葉をもらって、自分の信念そのものが誰かを直接ぶん殴るものになるという可能性を身近に感じて、自分の信念が揺らぎ、自分の思うままに生きるのが怖くなりました。

自分の思うままに生きるのが怖くなっているので、誰かの意見に合わせてとにかく話をするし、誰かの意見にとりあえず同意するし、だけど本当は心から同意しているわけではないので、なんの会話に関しても心を閉ざしていて、全ての言葉を拒絶していました。
とりあえず「相手が望んでいるであろう言葉を返す」みたいな虚無をしていたし、そこからはみ出すことが本当に怖くて、誰と話すのも疲れました。疲れるけども、疲れたところは誰にも見せたくなくて、平気なふりをしました。

なのでこの一年間、空っぽなのに何にも入らないみたいなこころを引き下げて、ただひたすら「じゃあ、どうしたらよかったんだろう/いいんだろう」というぼんやりしたものを抱えてたのかもしれません。

しかし、このことを真正面から考えると生きられないと思ったので、この気持ちを誤魔化しつつ生きてました。

過去に色々あって死にかけたとき、それまで散々死にたい死にたいと思っていたのに土壇場になるとやっぱり「死にたくない」と感じた経験があってから、軽々しく「死にたい」と思わないようになった(死にたいと思うくらい苦しくならないように、工夫して生きようと思うようになった)こともあって、生きようとする力はそこそこ強いため、どんだけ気持ちがバッドに入っていても、この一年死なずに済んで来ました。

というか実は、自分がこの一年なんでこんなにやる気がでないのか、全て嫌なのか、それの理由が「自分の思うままに生きるのが怖い」によるものだったんですけど、それに気づいたのがさっきでした。気づくのに、卒研のまとめnoteを綴ったこと、そして今日友達が一緒にご飯を食べに行ってくれたことが一役買ってくれました。

さっき、幼馴染とも言える長い付き合いの友達と、街でご飯を食べました。
そのとき、自分の「本当はこうなりたい自分」を思い出すことができました。

私は、自分がどれだけルーズで人の気持ちを慮れなくて最悪な人間であろうと、自分の美学に忠実に生きていたいんだと思いました。

もちろん、自分の最低な行為で誰かを悲しませたいわけではないけど、自分の作りたいものとか、自分のやりたいことに関しては、しっかり手を尽くしたいし、そんな中で嫌な気持ちも愚痴っぽい気持ちも浮かぶけど、だからって実際に愚痴をこぼすのは本当にカッコ悪い。とりあえずは与えられた機会に力を注ぎたい。力を注いでから、「やっぱこれはこっちの方がいいですよ」って」大口を叩きたい。

その結果、誰かを傷つけたり、誰にも理解されなかったとしても、それはそれで悲しいけど、自分としては、自分に嘘をつくよりはそうやって生きてた方がいいんだなと思いました。誰かのためとかではなく、もう自分だけが生き延びるために。どれだけ邪な気持ちで周囲と関わろうと、それが私なんだと。

そういった自分の気持ちを思い出すことができたのは、小さい頃から一緒にいろんなことをしてくれる、今日も一緒にご飯に行ってくれた幼馴染のおかげです。私は生意気なクソガキなので、大体の人を見下して生きているんですが、この幼馴染のことは本当に尊敬しているというか、中学生の時からずっと「私はこうはなれない、この子はすごい」と思っている人間の数少ない一人です。

あ〜 明日から、もうちょっと、自分の気持ちに自信を持って、どれだけ相手の話に合わせた会話をしたとしても、本当の信念は曲がることがないんだと自分を信じて、生きていこうと思います。

ご清聴ありがとうございました。 やることはやり、本当に言いたいことはちゃんと宣言し、頑張っていこうと思います。

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