怒りのスイッチの話!

みかみと申します。獅子座のO型です。大学4年生になってしまいました!今年度から卒研に取り掛からなくてはなりません。やだ!!!!!これからしょうもな自分語り(ショートバージョン)します。

私は小さい頃から、怒りの沸点が分かりにくい人間だな〜という自負がありました。なぜなら、小さい頃から「みかみって怒らないよね!」と学友に言われる一方で、本人としては「別に怒らない人間ではないが…」という想いがあったからです。「みんなが怒るようなところで怒らず、怒らないようなところで怒る人だ」と思われることが多かったのかもしれません。

この印象の由来の一つは、おそらく、怒る人間は怖いと知っているゆえに自分がそうならないよう、もし怒りが湧いた時はなるべく別の感情にセーブするようにしていることだと思います。怒りよりも焦り、悲しみ、不安、プレッシャーなどの方が抱きやすい気がします。自分がいたずらに怒ることで人を傷つけることが本当に嫌なので…(しかし最近、本当に怒るべき時に怒れないと困る場合があることを想像し、怒りを表明する練習もしたいと感じています)。

そんな私ですが最近、バイトやらなんやらでやることが多いようなタイミングで、漫画描きてえ〜!って久しぶりに創作欲が燃え上がった時があったんです。なので、二日の連続バイトなど諸々を「バイト終わって帰ったら漫画描くため」とモチベーションをつけて、頑張ったんです。

しかし、二日目のバイト終わりにたまたま買い物を頼まれ、バスの時間に追われつつ家族と連絡取り合いながらスーパーにハンドソープを買いに行った時のこと。

さまざまな内容量の詰め替え用が並んでいて、「うちのハンドソープの容器って何mlまで入るんだろう」と思い、LINEで「200mlと250mlあるけど、どっちがいい?」と質問したんですが、なかなか家族に気づいてもらえず…、しかしせっかくスーパーで目当てのものを見ているのに、そのままバス停に踵を返すのは気が引けてしまい、悩んでいる間に時間がすぎ…。結局、1時間に一本しか無いバスを乗り過ごしてしまったんです。手元には勢いで買った200mlのハンドソープ(詰め替え用)。次のバスは1時間後。帰宅まであと1時間半。ア〜〜!(当時の絶望を思い出して発狂)

マジで心が狭いんですが、すぐ引き返すという判断ができなかった自分と、さっきまで全然返信くれてたのに急にLINEの連投を見なくなった家族(その時、一人暮らしする妹の荷造り作業をみんなでやってたぽいです。ウオオ)にガチで腹が立ち、内心尖ったナイフばりにキレていました。久々にガチギレしました。

1時間待って一本遅いバスに乗って帰った後は、怒りすぎて家族に「今話しかけないで」とキレムーブをかましてしまいました。最悪です。

実はここからが本題なんですが、私はこの後、この気持ちをなんとか収めようと好きなVtuberの動画を見たり、美味しいご飯食べたり、漫画かいたり、twitterに愚痴ツイートをしたりなどました。

そのときにめっちゃびっくりしたのが、そのツイートを書いているときに、偶然なのか、はたまた潜在意識内ではすでにわかっていたのか、自分の怒りの沸点ポイントを発見したことでした。

私の怒りスイッチは、絵を描きたい時、それを邪魔されることなのかもしれない。

それに気づいた瞬間、あ〜〜〜〜ららと昔の記憶やらなんやらが思い出されました。小さい頃からどうしてあんなに人付き合いが嫌だったのか…家族のお出かけでどうして一人だけ家に残りたがったのか…親戚の集まりが嫌だったのか…全部、「絵描く時間が、自分の意に反して奪われるから」だったんだ〜〜〜と、なんとなく腑に落ちました。人と関わると自分の絵描く時間がなくなる。お出かけに行くと絵を描く時間がなくなる。親戚と(以下略)。クソガキじゃね〜か

両親・親戚はよくこんな融通効かない生意気娘に「絵が上手だね〜」しか言わずにいてくれたな…と今になって思います。家族親戚に、今まで私の絵を馬鹿にする人はおりませんでした。だからこそここまで、絵を描くことを続けてこれたのかもしれない…となんとなく感じるに至りました。

ま、だからと言って感謝するかどうかは私の勝手なんですが?まだまだクソガキなので…。いつかみんなに素直に感謝とお礼ができるまでは、精一杯クソガキしようと思います。

山もなければオチもない自分語りでしたが、この気づきが、今の自分にとって「小さい頃から絵を描くことに執着していた。それくらい絵を描くのが好きだった」という、個人的にとても宝物になるようなものだったので、記念にnoteに残しておこうという魂胆でした。

くだらん話ですみません。ここまで読んでくださった方、いらっしゃいましたらありがとうございました。

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