文庫X

仕掛け文庫の「ダブルカバー(全オビ)」問題について

2020年の一発目のネタとして相応しいかどうかは微妙だが、前からもやもやしていたことがあるので、一度書いておきたい。文庫仕掛け時によく見かける「ダブルカバー」問題である。

例えば、既刊の文庫がドラマ化とか映画化とかされた場合、そのスチール写真を使ったオビが新たにかかる、ということはよくある。それが数年前から、通常のカバーをほぼ覆い隠してスチール写真だけの表紙が作られるようになった。朝日文庫の『悪人』(吉田修一)が最初だったと記憶している。あれは厳密には、カバーではなく「大きなオビ」ということになっているらしい。なので「全オビ」「フルオビ」と呼ばれることが多い。本(本来のカバー)の大きさよりもほんのわずか、数ミリほど短いのだ。

まあ、映像化での全オビは、まだ分かる。
問題なのは、特にメディア化でもないのに、旧作掘り起しの意味で、カバー(全オビ)を大きく変えるケースだ。最近そのパターンが増えている。新装版として出すのではなく、本は既刊のまま、全オビをつけてイメージをガラリと変えるのだ。コスト的にもその方がいいだろうことは想像できる。

ただ、ですよ。そのイメチェン的全オビって、どうなんですかね? と最近思っている。この取組みが始まったころは物珍しさもあったし実際によく売れた本もある。が、いろんな出版社が追随し始めて、売場(主にアイライン面陳や平台)の雰囲気がそれまでとは大きく変わっているのだ。出版社側の意図は二種類あって、「傑作なのに全く売れていない本を掘り起し、多くの読者に読んでもらいたい」または、「過去にもめちゃくちゃ売れたけど、イメージ一新してもう一度売りたい」ということだろうと思う。まあぶっちゃけ、売りたいのだし、その気持ちも分かる。書店としても売れるのはありがたい。でもいつも気になるのが、元々の表紙を全部隠してしまうのは、元の本、特に表紙の装幀家や写真家・イラストレーター、また本を作った編集者に失礼ではないのか、引いては作家にも失礼にあたらないのか、ということ。一冊の本ができるまで、いろんな人が携わって一生懸命作った、その想いを、最初のイメージとは全然違った表紙で覆ってしまうのは、果たしてありなのか。ということだ。

特に最近見られるのが「文字で埋める」パターンと「アニメっぽいイラスト絵」のパターン。文字だけびっしり書いた表紙でのインパクトを狙ったものと、若い読者層を引き入れたいために可愛らしい表紙を使うことが多いように思う。
でもね、活字だらけなのは逆にうるさい気がしませんか? アニメ風イラスト表紙だと、年配の読者が敬遠しませんか?

これにはもうひとつ弊害があって、書店で探そうとした際、前の本の表紙イメージで探しても見つからない、ということ。書誌データの表紙画像はいちいち更新しないので、出版当初の画像が載っている。お問い合わせがあって、表紙を確認して探しても全く見つからない、実は全然違う表紙になっていた、ということがしばしば起こる。

この手の流行りカバーのきっかけになったのは恐らく、かの「文庫X」ではなかったかと思う。手書きで裏表紙までびっしり書かれた文庫の表紙は、それはそれはインパクトがあった。
でも私は「こんな売り方は著者や装幀家、編集者に失礼では?」と思ったので、実は企画が広まりつつあった当初は否定派だった(これは長江くんや田口さんも伝えたことがある)。ところが、企画に乗った書店が増え、実際に売れ続け、そしてどうやら、出版社(今はどの本か分かっているので、新潮社だけど)も好意的・協力的らしいと知ったので、全面的に乗っかったのだった。
その後、本当に大ベストセラーになった。

出版社も「文庫X」の成功を意識したのではないかと思う。それを意識したようなダブルカバー本が増えた。「見た目を変えるとまた売れる」ということに気づいたのではないだろうか。

この話には結論はない。
実は私は全オビ完全否定派でもない。
売れればOK、ではある。
が、表紙のセンスも含め、なんだかなあ、と思うことが最近増えてきたので、ちょっと問題提起をしてみたつもりである。

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