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フリーランスになってからはどうなんだい?という話

キャリアチェンジするまでの話をする機会はたくさんあったけれども、なった後の話を全然してないなぁと思い、振り返りも兼ねて書こうかと。思いついたまま書いているので、表現が尖っていたり、変な文章になっているかもしれないですが悪しからず。

2023年3月

開業した日

お日柄が良いからという理由で、特に何も思い入れのない日を開業日として選び、会計ソフトでぬるっと開業。ボタンをポチポチ押していくだけであっさり簡単に開業できちゃったので、本当に実感が沸かなかったが、私はWEBデザイナーとキャリアプランナーの複業フリーランスとして、走り出した。

フリーランスとして走り出した最初の月

思い返せばフリーランス初月が今までで最高月収だったかもしれない。「こんだけ業務委託あればフリーランスなれるじゃ〜ん」と思って開業したわけで、「こんだけ」をギリギリながらもこなしていったら会社員時代の2倍以上の月収を得ることができ、「頑張れば頑張った分だけお金で返ってくるフリーランス最高じゃ〜ん」と言った記憶がある(このセリフはフラグなので覚えておくように)。

2023年4月と5月

4月にはじめて「クライアントワーク」を体験した。今までは業務委託メンバーとしてチーム内で作業していくことがほとんどだったので、「自分自身 対 クライアント」という個体同士でのやり取りを初めておこなったが、マジで、良い思い出がない。

クラウドソーシングサイトを通して声を掛けてもらい、その当時はお仕事獲得に必死だったので、喜んでお受けしたのだが、自分の経験・勉強不足のおかげで、コケにコケまくった。(お相手の方は良い人たちだった。本当に、自分のせい。)

頑張っても頑張っても、良い反応がもらえなくて悔しかった。時給換算したらあまりにも割に合わないことに途中から気づいて、しんどかった。どんだけ時間をかけても全然終わる気配がしなくて、絶望的だった。

こんなとき、会社員だったら同僚とか先輩に相談できるんだろうなあ。助けてもらえずとも、話だけでも聞いてもらえたらいいのになあ。と思った。「何もかも全部自分」なフリーランスの洗礼をさっそく全身で浴びた。

もうだめだ〜と何度もオット🦭に愚痴をこぼしていたら、しつこかったらしく、普段穏やかなオット🦭も「じゃあもうやめればいいじゃん!」と怒った。この時期本当に余裕がなくて、怒られたことに対して私がキレるという、非常に理不尽で無駄な喧嘩が多かった(飛び火すぎる)。

このクライアントワーク以外にも別の委託業務をしていたが、気持ちや時間の皺寄せがひどく、すべての業務・タスクに支障が出ていた感覚があった。もう露骨に褒めてもらわないと、ダメだと言われている感覚もあり、しんどかった。

そんなわけで、「クライアントワーク」は私のトラウマとなってしまい、業務委託メインのフリーランスとして生きていこうと決意をした。

何度も言うが勉強不足の自分のせい。クライアントもオット🦭も、何も悪くない、マジで…。

2023年6月

無事(ではなかったが)納品し、クライアントワークが終わった。もちろん継続になることもなかった。案件が減った状態で6月を迎えたことで、皺寄せでギリギリなっていたタスクひとつひとつに、丁寧に向き合えるようになった。駆け出しで、まだよくわかっていない状態なのに7案件くらい抱えて暴発した4〜5月を経験したことで、「良いパフォーマンスを発揮できるキャパ」を知った。

2023年7月

キャリアプランナーのほうで、表彰してもらった。オンラインだがみんなの前でプレゼンもした。みんなに褒めてもらえた。そうか、私はデザイナーとして成果は出せなくても、プランナーとして頑張る選択肢もあるのか、と思った。

前職が販売営業だったので、経験が活かせるプランナーの方が、「できちゃう」のだ。それに比べてデザイナーはなんだか自信がない。自信がないならデザイナーの仕事すな、という心の声が聞こえてきて、しんどかった時期。

2023年8月

この月、また失敗する。私が報酬額を見誤った。お相手は何も悪くない。私の確認不足だった。いえ〜い最高月収更新だあ〜、と喜んでいたのも束の間、実際の収入は想定から20万円低い額だとわかった。気づくまで半月くらいあった。半月くらい、私は喜んでいた。発覚したその日はさすがに辛くて、今日は晩ご飯作れませんとオット🦭に連絡し、回転寿司に逃げ込んで暴食し、帰りにスタバに寄って自分を慰めたのをよ〜く覚えている。

2023年9月

ここで初めて、フルコーディングのLP制作の依頼がやってきた。これまではバナー制作・サイトデザインがメインだったので、実装含めてできると思うと、やっとWEBデザイナーとして自信を持って名乗れる気がした。

LP制作はまあもう本当に大変だった。また孤独感がえげつなかった。わからなくても誰にも聞けない。「(遠回しに)なんか微妙なので最初から作り直してくれますか?」と言われた時もあった。なんとか納品できたが、達成感よりも「もっとスキルアップせな」の気持ちのほうが強かった。「また頑張るから、チャンスをくれ〜」と思った。

4〜5月のときは、「正直、もうこの仕事はしたくない…」とネガティブになっていたのが、今回は次に向けての向上心を持てたという点で、少しだけ成長した気がした。

この時、プランナーとして新しい業務委託もスタートした。というのも、自分はデザイナーとして稼ぐには道のりが遠すぎるのでは…と思い、自分の得意が活かせる仕事でしばらく食いつなごうと思い、応募して、採用してもらった。こちらのプランナーは良いスタートを切ることができて、やっぱ私はデザイナー1本でやらない方が良いのかもしれないと思った。

2023年10月

9月からプランナーとしてジョインした会社で「デザインもやりません?」と声をかけてもらい、デザイン業務が増えた。自分から、採用してくださいー!と言いにいったのではなく、私がデザインやってることをたまたま見て知って声をかけてくれたので嬉しかった。

2023年11月と12月

サムネイル20枚を4日で作るという所業を行った。修行だった。でも、この時はいつものネガティブはなく、やりきった…!という達成感があった。この時期、あんま記憶ない。でも制作物を見る限り、たぶんこの頃からやっと、自分の作るデザインが好きになってきた気がする。

2024年1月と2月

年明け、「今年は収入アップする」と目標設定をした。量を増やして単価を上げようと奮闘するも、見込みが立たず、2月は虚無になった。別のnoteにも書いたが、私には特段ビッグな目標がない。目標がまったくない自分に対して、何に向かって頑張れば良いのかわからなくなってしまった時があり、床に落ちて天井を眺める日々を過ごした。

2024年3月

この時期、SHEアワードというイベントに向けてプレゼン準備をしている裏で、10案件まわすことになった。過去最多だった。シンプルに量が多くて体力的にきつかった。しかも、ロゴ制作とか、STUDIOサイト制作とか、今までにやったことのないタスクが同時に進んでいた。そんな中、アワードのプレゼンの修正も止まらず、頭が狂うかと思った。

でも、この月、めっちゃ褒められた。制作物のクオリティに対しても、仕事の仕方に対しても。そもそも、ロゴとかSTUDIOとか、新しいことを任されたことが、なんだか自分を信頼してくれてる感じがして、うれしかった。というか、10案件に増えたのも、いろんな人から声をかけてもらったからだった。嬉しかった。だから、大変だったけど、嬉しい悲鳴だった。しかも、約1年ぶりにクライアントワークをした。トラウマを乗り越えた。

余談だが、友達にアイドルコンサートに連れていかれ、まんまとハマってしまい、人生で初めて「推しのいる生活」が始まった。タスクの合間に推しを眺めて自分のご機嫌を取っていたおかげで、理不尽にオット🦭に当たり散らかすこともなくなった。Travis Japanのおかげで我が家に平和が訪れた。ドルオタ生活、素晴らしい。

それはさておき、気づいたら開業して1年。やっと、自分の作っているものに対して手応えを感じられるようになっていた。今気づいたが、たぶん最高月収超えてた。8月の悔しさもやっと回収できた。

まとめ

開業当初はデザイナー3割、プランナー7割くらいで仕事をしていたが、今ではプランナーよりもデザイン制作にかける時間の方が多くなっている。今でも「なんだこのゴミカスは〜」と頭を抱える日々の方が圧倒的に多いが、ところどころ自分なりに成長を実感する瞬間も増えてきて嬉しい。

は〜それにしても、マジで己の努力次第で月収変わるの、本当に大変だわね。自分を守るのは自分しかいないこの状況は開業した時から今も不安だし怖い。

来月もシャトレーゼの美味しいアイスが食べたいなら、頑張って働け、と自分に言い聞かせ、ここらで終わりとします。では。

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