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ナラティブな体験は人を孤独にするという話(もしくはアンジニティとセルフォリーフの話)

■はじめに

こんにちは、はじめまして、もしくはごきげんよう。
みずわたさんにアドカレ記事を書かせる会ことみずわたアドバンテージドラゴンカレンダーに誘っていただいたので、定期更新ゲームの話をしようと思います。
と、思ったところまでは良かったのですが、困ったことに内容を何も思いつきません。
最近は何やら感情の限界を迎えた人々の新鮮な悲鳴に需要があるそうなのですが、私の定期更新ゲーム歴はリアルとの相談によって出来ているので最新の経歴がソラニワ無印で止まっておりフレッシュさに欠けています(GFですらない!)

ので、何か新しいゲームに繋がって、ついでに古いゲームの話にも触れられればいいなと思った結果、イバラシティにも繋がりがあり定期更新ゲームに足を踏み外すきっかけになった最古の悲鳴の話でもある、自分が一番最初に参加したSicxLivesの話をしようと思います。
八年ほど熟成させたので新鮮さはありませんが、煮詰めたような長い間苦しみ続けている人間にしか出せない味のようなものは出るんじゃないかなと思っています。出ているといいな。

とは言えもう八年以上昔のゲームであり、また、私は途中からの登録参加だったので語れる思い出はそんなに多くないし、齟齬や記憶違い、あやふやな部分を含んでいたりします。
当時のPLさんからすると正確ではない記述が含まれるかもしれませんが、途中参加者の視点及び記憶として自分の思い出のままに綴ろうと思います。

■SicxLivesというゲーム

定期更新ゲームの歴史は長く、プレイしてる人の中には十年以上選手も存在する界隈です。
そのため、自分は新参とも古参とも言い切れない微妙な地層に存在しています。
初参戦ゲームはSicxLives、通称を六命。
アンジニティとセルフォリーフという、2つの世界に一人ずつキャラを登録できる定期更新ゲームでした。
そう、イバラシティにも存在しているあのアンジニティです。

当時、定期更新ゲームと言えば一タイトル一キャラが普通だった中で、二つの世界にそれぞれ一キャラずつ登録ができるという画期的なシステムでした。
キャラクター同士でやりとりをする『メッセージ』機能も、(特殊な機能を開放しない限り)同じ世界のキャラ同士でしかやりとりができないという徹底ぶり。
マップも当然、二つ存在しました。

■躍動の世界セルフォリーフ

一つは『表』側、躍動の世界セルフォリーフ。
生命力が溢れすぎるあまり、動植物が成長の限界を超えて巨大化・凶暴化、さらには無機物まで生命力溢れ躍動してしまうようになった、栗鼠ゲのコミカルで楽しい、摩訶不思議でお祭り的でありながら不穏でもある側面が詰まった世界だったように記憶しています。
お店で売っているものの物価も比較的手に入る収入で賄えるようになっており、マップは大まかにはルートは決まっているものの自由に歩き回りやすい構造をしていたと思います。
値段設定は安くはありませんでしたが、街へのワープ石なんかも買えました。

当時のワールドガイドがこちらになります(SicxLiveswikiから引用)

【古の時代から動植物がよく育つ非常に肥えた大地を持つ世界。住人はその恩恵を得て、生き生きと暮らしていた。

しかし最近になって環境に変化が表れた。
動植物が成長の限界を超えて巨大化・凶暴化し、さらには無機物が突然動き出し己の意思でもって活動をし始めた!

それらは住人の生活を脅かすまでの存在となってしまった。住人は危機を感じ、他の分割世界に救援依頼を出す。

そして、世界復元の動きが始まった―――】

この文章を見ただけで、どういう世界で、自分たちはどういうキャラクターを登録するのかが分かる名文だなぁと思います。
分割世界という概念がゲーマー魂によく馴染み、この世界が見舞われているトラブルと、それを救援するために他の分割世界からやってきたり、中には地元・現地民として登録された方もいらっしゃるかもしれません。
キャラを作るために、まずオリジナルの分割世界から作った方も多かったと記憶しています。

■否定の世界アンジニティ

そして、この世界と対になるもう一つの世界が『裏』側、否定の世界・アンジニティ。
分割世界の”掟”に触れてしまった者たちに課される罰の中でも、特に重い刑として送り込まれる世界の掃き溜めとも言われる場所です。

当時のワールドガイドがこちらになります(SicxLiveswikiから引用)

【分割世界の掟に触れた場合、"その世界からの追放"以上の罰を求められる場合がある。
その行き先がアンジニティ、世界の掃き溜め。様々な世界で否定された"無法者"が集まる世界。極稀に、自らこの世界に迷い込む者もいる。

環境は悪く、安息の地も無く、内から外への道は完全に閉鎖されている。
しかし、そこにひとつの噂が流れる。

『世界の隔壁の一部が破壊された。』

――― 世界に一筋の光明が差した。】

はい。
たぶん、イバラのテストプレイに参加した手応えだと、六命をプレイしていない人たちにとって一番気になるのって『アンジニティってどういう世界なの?』だと思うのですが、我々も知っている情報といえばこのワールドガイドの端的で分かりやすい文章と、実際にプレイした時の物価の高さやプレイのままならなさ、個々人が見ていた世界という『ナラティブな体験』みたいなものが中心になるんじゃないかなぁと思います。

とりあえず、アンジニティという世界はならず者や冤罪、迷子、どうしているのか分からない人々などの無法の集まりであり、……実際のプレイとして『PKをすることを大手を振って許されている』どころか『PKをして人から奪わないと次の街まで歩くことすらままならない』という世界でした。
当然、勝率の良い『強いPK』や個性的で『印象の強いPK』という概念も存在し、情報に敏い人々がそれを共通認識として持っていることもあれば、情報に興味がなく、そういうことにまったく疎い人もいたと思います。

他に気になることとしては、アンジニティの人たちはこの頃から他世界への脱出を図ろうとしていた、ということでしょうか。
この頃は侵略という形ではなく、世界の隔壁の一部が破壊され、そこから脱出ができるのでは、という噂に惹かれて修羅のマップを移動したり移動しなかったりしました。

■六命という世界

そう、非常に面白かったのが、PCの中には最初の街を動かない人々もいた、という点だと記憶しています。
分かる……!
いや、何が分かるという話なんですが、集団の中にそういう人々、絶対いる、いてほしい、という気持ちの『分かる』なんだと思います。
この動かない人々の事情も様々で、噂を信じない・信じる気力がない人、外に出るのが怖い人、最先端を行く凄腕PKと足並みをズラしたい人、最初の街で途中参加組を初心者狩りするPKなど、本当になんというか、一つの世界、一つの経済、一つの集団、人々が生きているという感触。
そういった『質感』みたいなものが、色々な設定のキャラが集まることによって生まれている。

私が初めて参加したゲームは、登録されたPCたちによって二つの世界が対象的に、しかしどこか共通点もあるように描かれているという、衝撃的なゲームでした。
ただ登録するだけで、ただその世界に存在するだけで、その世界の背景として、構成する要素になれる。
何もせず最初の街に居続けても、開拓の最先端を走り続けても、その中間で効率的にリソースをやるくりしても、いくつかあるゲームのシステムの一つに執着し続けても、何をしても良い。
登録したはいいものの、すみっこにいるだけの人も、何もせずに消えていくキャラだっていてもいい。
だって、そういう色々な人がいるほうが世界の解像度としては圧倒的に良い、良さを感じる(個人差があります)
無造作かつ無作為な、とにかく大勢の『色々な人』が集まることでしか生まれない世界がある。

当然、一つの世界に一人キャラが登録できるので、表と裏で一人ずつキャラを登録する人も多かったと思います。
逃げる者と追う者、離れ離れの家族や恋人、出会えば殺し合う運命の二人、どうしてももう一度出会ってほしいと思ってしまうような二人……。
二人の設定が並ぶだけで『ドラマ』が想像できてしまうような、表裏一体のキャラもいれば、まったく無関係で縁もゆかりもないキャラ同士を登録する人もいれば、PKを遠ざけるために表にだけ登録する人もいたと思います。

アンジニティという世界とセルフォリーフという二つの世界には明確な『差』があり、その世界に相応しいキャラクターから、どうしてそのキャラが逆の世界ではなくこの世界に……?というキャラまで、色々なPLが様々なPCを投げ込むことでその世界の『解像度』を結果的に上げていて、それを参加者たちが楽しんでいた(ように私からは見えました)

■六命終了の日

第三者として色々なPCの結果を追っていた私は、そういった点に惹かれて六命というゲームに、途中からの参加者として、もう最先端を開拓することは叶わないと知っていても尚、登録することに決めました。

当時、共通の趣味を手探りしていた家族を誘って、二人で四キャラ分の設定や生産スキル分担を決め、どういうスキルツリーで取っていくか、上位技能を取るのか、マップのどのルートを辿るかまでじっくり相談をしながら、私は10更新目にして六命の舞台に立ちました。

そして迎えた運命の19更新目、6月2日。
六命はゲーム内容の全てを明かさない内にその舞台に幕を下ろしました。

ゲーム終了告知があったその日は、私の誕生日の前日でした。
これから誕生日を迎える度に、ああ、昨日は六命の何周忌だったかな……と一緒に思い出して生きていくと思います。

■ナラティブな体験は人を孤独にする

そこにしかない世界、今そこにいる人しか見られない景色、味わえない空気、その時だけのナラティブな体験は、終わった後に夢か幻のように消えてしまうことがほとんどで、後から知った人たちは同じ空気を吸うことがほとんどできません。
熱い体験は共有した人たち同士にしか伝搬しづらく、外から後からそれを知った人たちはそれに対して疎外感を感じやすく、それがまたナラティブな体験を孤独にしてしまいがちになる。
当事者たちが加熱すればするほど、周囲と温度差が生まれ熱量の差異から遠ざけられてしまう。

そういう、ナラティブな体験の良さと悪さと、終わったことへの孤独みたいなものは時間とともにどんどん失われて薄れていってしまいがちです。
当時を共有した人との間でさえ、時間によって冷えた熱量により意識に差が生まれがちになります。
薄れて失われていくことが一概に悪いということではないのですが、ただ、やはりそれも当事者としては少し淋しい。

ので、たまにはこういう素晴らしい体験をしたんだよという、八年煮詰めた孤独と淋しさの話を残してもいいのかなと思い参加させて頂きました。

ご清聴ありがとうございました。

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