涙が出るのを止めるのに必死だった今日

今日は、学校で授業をする最後の週だ。火曜日に私が授業を受け持っているのは一クラスだけで、準備する時間もいっぱいあるからいろんなタスクを片付ける日にしようと計画していた。でも、結論から言うと、今日の授業は感覚的に最悪だったし、オフィスで喧嘩はあるし、私と唯一、年の近い教育実習生の最終日でもあった。

私にとって、教育実習生の存在の有難さは自分にとって本当に大きかった。彼女は中国語・フランス語・英語を25歳で操り、日本語も勉強していた。いつも話しかけてくれて、孤独感を感じなかったのは彼女のおかげだと思う。だから、言語が話せなくても、相手の言語を勉強することや知ること、使うことでどんなにコミュニケーションの輪が広がるかを体現してくれた彼女に本当に感謝している。次は日本で会えるといいな。

そして、今日はオフィスで喧嘩が起きた。私は言語担当のオフィスにいて10人くらいの先生が仕事をしている。先週の学校全体MTGで、日本語でいうひそひそ話を禁止にしたのだ。だから、常に、だれかに聞こえるような声で話さなければならないという奇妙な決まり事で、私のオフィスの先生の中には、この決まりに反発している先生が4人いた。私は、特に人目を気にするし、気も使う。だから、仕事中は、特定のだれかと話すときや質問をするときは、声のボリュームは無意識に小さくなる。そんな中、私に話しかけてくれた先生が小さな声で私に、授業案についての相談があったすると、別の先生が、ひそひそ声で話してはいけないよ、と私の上司に注意したのだ。それを聞いた上司は、さらにオフィスリーダーに、その必要性について持ち掛けた後、「仕事に集中したいので議論はあとで」と言って私を連れて別の教室に移動し、議論を放棄した。つまり、この議論の引き金を引いた当事者不在のまま、注意した先生とオフィスリーダーとの喧嘩が続くことになった。そんな感じで、いろんな先生を巻き込んでこの議論が活発になり、かなり動揺して泣きそうな先生もいた。私も、とてもストレスフルな感情で、なんか申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

そんななかで、仕事に集中しないまま授業内容を詰め、本番を迎えた。案の定、私の指導の順番や内容が十分に練られたものではなかったこともあり、彼らのその時のコンディションや変化に全く対応できなかった。機能していなかった。私の話を聞かない・寝る・スマホを触るなどである。でも、これは私の授業内容がそうさせた結果である。ただ、そこまで自分がダメ人間だとも思わなかった。上司は、常に「大丈夫です。なんとかなります。でもまずはマリンさんが楽しんでやってみないと。」と私に言う。これは結構、私が常に向上心を持ち続けられ、何度失敗しても、素直に反省して、変化を怖がずに授業ができた大きな要因だと思う。泣きそうだけど。

あと残り3日になった授業や生徒、家族、上司のことを考えると洗濯物を干しながら涙が溢れそうなくらい胸がキューと締めつけられるのだった。

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