孤独感の心地がいいオーストラリア生活。

なんだろう、この感じ。外国にいるのに本当に外国にいるのかよくわからない。でも圧倒的に、なんでも情報が入りすぎる、便利すぎる、居心地が良すぎる日本より心地がいい。
やることはシンプルだし、毎日の変化はほぼない。

多分、スマホやネットでいつでも日本について身近に感じられるから、日本と物理的に離れていても、心理的な距離感は日本にいる時と同じな気がする。

もちろんほとんど英語がわからないし、中学英語も喋れない自分がとても恥ずかしいし、情けない。でも、そこまで悔しくはならないし、自分がダメ人間だとも思わない。

今、働いているオフィスでは、共通言語は英語だけど、日本語、中国語、フランス語がいつもバラバラに聞こえてくる。だから、どこで英語に切り替わったのか正直わからない。

そんな感じで、分からない言語があることは基本的に当たり前で、むしろ新しく学んでいくことで会話が弾んだりする。そういう小さな多言語への興味関心を示すことは、こちらの人々に喜ばれる大きな要素だと思う。

家に帰ると、おしどり夫婦が毎日面白くて分かりやすい茶番劇を繰り広げてくれる。本当の娘みたいに、週末はショッピングに出かけて、家をリノベするためのチェーンソーを選んだり、Levis のたっかいジャケットを品定めしたり、どしゃ降りの中フットボールの試合を観に行ったり。

そういえば、6年前に同じ土地に2週間ホームステイした時は、とても孤独感を抱いていた。
聞こえてくるニュースも、豪華で美味しいご飯も、何か別世界の感覚みたいな感じだった。
とても良いホストファミリーだったし、文句は何一つなかったけど、唯一今と違うのは、私の心を開けなかったことと、劣等感でいっぱいいっぱいだったことだと思う。

今、毎日、自分らしく生活できているのは、自分を受け入れてくれようとする環境があり、ここにきた目的が英語の習得ではなく、教育というテーマが私の中でメインだからだと思う。主人公は自分自身の中身ではない。だから、客観的に物事を見て観察しながら、日本とオーストラリアの教育がどう違うのか、今、身の回りで何が起きているのか、目の前の授業をどう作っていくのか、という自分の外の物事に夢中になっている。それは5年前と比べて、状況が違う。

今日で2週間経つのだけれど、英語は日に日に下手くそになっている気がしている。
相手の言っていることがわかってもうまく返せないし、なんか今になって文法とか気にしちゃって、会話のリズム感を狂わせてしまう。

多分これは停滞期だから、もうしばらく辛抱したらマシになるのかなぁ。


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