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祇園女御 上下 瀬戸内寂聴著

祇園女御とは、そも何者であるのか名も生まれも定かではない、正式に宣下された女御ではなく、あまりにも白河上皇の君寵があつかったため、女御と仮称されたものという。著者がある日円山公園から清水寺へ行く道筋に、女御塚阿弥陀堂があり、奥の卒塔婆には祇園女御御供養塚と墨書してあったのを見つけ、不思議な縁で[ぬばたま記]なる。平安時代末期、承香殿の女御藤原道子が書いたらしい日記を、手にした事からこの謎の女の物語を書き始めるのです。後の白河上皇がまだ東宮の時、妃として十一歳年上である藤原道子が、入内した始めは寵愛するが、若い年下の妃が入内してくると、東宮の気持ちがそちらに移っていった。白河上皇の父後三条帝は藤原氏の、血を曳いてない、後三条帝は後朱雀帝の第二皇子、母は陽明門院禎子内親王、彼女はかって道長のために、在位六年で心ならずも、後一条帝に譲位を強いられた三条帝の皇女、なので藤原氏を外戚としていない。道長の息子の関白頼通は、白河帝の東宮の時に藤原氏の圧迫に耐え兼ね、藤原氏の血統をひく皇子に、東宮を譲るよう計りたかった。かって道長の圧迫に耐えかねて、自ら東宮を降りた小一条院のことを思い浮べ、頼通は当然のように、気にそまない東宮に対して、あらゆる圧迫を加えた。東宮に宣下されたあと、二十五年もの歳月東宮で耐え即位した。宇多帝から百七十年ぶりに藤原氏を、外戚にしない天皇が誕生した。ここから藤原氏の凋落が始まる。よって、後三条は大の藤原嫌いでにあった。白河帝が即位する際に、後三条院は年の離れた、源基子所生の弟を、東宮に据えさせた。この時まだ白河帝には、皇子が誕生していず、皇弟が東宮に立つのは順当。この頃伊勢では、東国の源氏の勢力を嫌い、平氏が移って百年あまり四代を経た、その間平氏は武力と財力を養い、伊勢一帯を手中にするだけでなく、伊勢、伊賀はいうでもなく紀州、尾張あたりまで勢力を浸透していた。伊勢平氏は武力と財力を蓄えるだけでなく、農民の生活を守り治安にも意を注いだので、武士団の大棟梁としての、貫禄が備わっていた。その広大な屋敷に平正盛が贔屓する。傀儡子の頭鷲丸が、たまきという美貌の少女を、引き合わす。即位後専横を強めていく白河帝は、先帝との約束を違えて実子堀河帝に譲位し院政を始める。帝位を逃した皇弟三宮は隠棲する。正盛は白河院に近づき、たまきを献上する。平氏も源氏のごとく、昇殿の栄誉によくしたいのだ。白河上皇の最初のの后である藤原道子は、三十五歳の時、皇女をもうける。彼女はのちに斎宮となり、伊勢に下る。院に預けられたたまきは、皇弟三宮に恋をする、道子のおかげで邂逅し、想いを遂げるがすぐに、院の許へ連れ戻された、大天狗と言われ、朕の意にそぐわぬもの、賀茂川の水、山法師、双六の賽と言い放っ院に。たまきはとびぬけた寵愛を受ける、祇園社八坂神社の傍に屋敷を設え、住まわせたので、世の中の人々に祇園女御と称された。子の居ないたまきは、璋子、みどりという二人の少女を、養い子とする。堀河帝崩御の後孫の鳥羽帝を即位させる、その鳥羽帝の後宮に院は璋子を、白河上皇の猶子として入内させる。彼女はすでに院の子を宿していた。何も知らない鳥羽帝は、美貌の璋子に魅かれる。直ぐに懐妊したという璋子に喜ぶが、生まれるのは院の子、知らぬは帝ばかり、と帝は女官たちの噂話を聞いてしまう。生まれた皇子は陰で叔父子と囁かれていた。若宮が帝の践祚された時と同じ歳に達した時、鳥羽帝は皇子に譲位したが、内実は白河法皇の命令で強制的な譲位であった。五歳の崇徳帝が即位した。白河法皇の専制政治が前にも増して強力になった。政はすべて法皇の意のままだった、表向き院の院政を、聖明の君長久の主と称賛されていたが、法皇の意に満ちた継嗣を、擁護即位させることだけが主目的の政といってよく、法皇の治世は皇子堀河、皇孫鳥羽、皇曾孫崇徳、の三代四十余年という年月に及んだ。祇園女御のもとにいる、みどりにも、院の子が宿っていた。白河法皇に取り入り気に入られ、財力もある平正盛の息子の忠盛に、みどりを妻とせよと下げ渡す。父正盛は大喜びした。みどりの腹の子が法皇の胤ということは、もう天下に知れ渡っている。その子を育てるならば、平家と朝廷の結びつきは、外戚になるより確実になるというものだった。生まれたのが男子、清盛となずけられる。子のいない祇園女御は、白河法皇に猶子とし生涯後見を、したいというのです。史実の上からいうと、白河院が最も寵愛した女性は、堀河帝の母中宮賢子、祇園女御で、二人の時代は重なっていない。平清盛が、白河法皇の落胤ということは、歴史学者が今では認めている。鳥羽帝の皇子と皇統系図に示されている、崇徳帝さえ実は白河法皇の皇子だったと歴史家は、証明しているとのことです。
 この本は、瀬戸内先生が、とわずがりをもとに書いた、中世炎上の後に、書かれた。有名なのに、伝記のない祇園女御のことは、今鏡など当時の日記を読み込み豊富な知識と想像力を、駆使して書かれています、武家が台頭する兆しをうかがわせる時代、そしてここから院政が始まる。以前に読んでいます、末世炎上、諸田玲子著は、白河法皇の父後三条院が、即位するまでの物語。読まれるならば、末世炎上、祇園女御、の順がお勧めです。







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