祖父を亡くしての振り返り④
祖父が誤嚥性肺炎で緊急搬送された。
叔父も徳島から駆けつけた。心配な状況だったと言う事で、慌てて母も高知から駆けつけた。
祖父の様子を動画で見せてもらうと、酸素マスク付けながらも、喋れていた。
母と、祖母だけ面会させてもらった。母は「これで(祖父)と会うのは最後かな、、」と、話していた。
家では、祖母、叔父、母の親子3人で、これからのことについて話し合ってた。祖父が亡くなったら、祖母は叔父のいる徳島へ行くことになった。この年で、また慣れない地へ行くのは気の毒に思えるが、何かあった時、所詮孫では、できない事が多いのだ。いや、扶養義務があるのは、子どもである母と叔父なので、そもそも私は孫以上の事をしてはいる。
叔父も、母もそれぞれ戻った。
緊急搬送されてから4日後、祖母の家にいた時、電話がかかってきた。祖母から今日は電話に出て良いと言われたので出た。祖父からだった。
とても、か弱い声だった。喋るのも精一杯と言う感じだった。
いつもは「おばあちゃんは?」と聞くのに、この日は「体調に気をつけるんやで」と。
恐らく、祖父は私と電話するのは最後だと悟っていたのだと思う。実際に祖父と話をしたのはこの電話で最後だった。
8月27日金曜日、叔父から、病院から連絡があり酸素供給度マックスにしてると。
また病院から連絡があったら、京都に向かうとのこと。
土日に、私は通信教育のスクーリングがあったため、何かあったらすぐには行けない。スクーリングが終わったら祖母の家に戻り泊まった。
結局何も連絡無かった。病院は急変しない限り連絡しますはしない。叔父から連絡すると、どうやら落ち着いてはいるらしい。
誤嚥性肺炎はよく繰り返しがちになる。祖父も悪化を繰り返しながらゆっくり死に向かって逝くのではと思った。
続く
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