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祖父を亡くしての振り返り終

久しぶりの更新です。

書いてるうちに、思い出してしんどくなったりして停滞してましたが終わらせます。

祖父が亡くなって翌朝、母も到着してた。      私は一度自宅に戻り、1人でゆっくり夜を過ごした。  叔父は葬儀場に祖父の遺体と一緒に向かってから祖母の家へ戻ってきた。

当時、緊急事態宣言が出ていた。

弟はたまたま実家に帰省しており、緊急事態宣言が出ている地域にまた戻らすのは、、と父が渋り母のみ京都へ来ていた。弟も葬儀に出席したがってたそうだが、それはまた別で書くとする。

従兄弟も徳島からやってきたけど、正直いって10年以上会ってないし、長年祖父母とも疎遠だった。

幼かった従兄弟たちも大学生と高校生。すっかり大人になっていた。

正直言って、祖父母とは数えるほどしか会ってないし、血の繋がってるはずの祖母にも敬語で接しているのに違和感があった。

でも、血が繋がった孫は可愛いのか、嬉しそうにしていた(気を遣ってはいたらしい)


葬儀は、祖母、私、叔父、伯母、母、従兄弟2人の7人の家族葬だった。

緊急事態宣言が発令していたこともあり、外部からの参拝、香典はお断りした。

職場から献花の申し入れがあり、それは有り難く受け取った。

無事に何事もなく、葬儀、火葬は終わった(詳しく書こうとすると思い出して辛くなってしまうので割愛)

火葬の後に食事会があったが、久しぶりに従兄弟同士で話が弾み和やかな雰囲気だった。弟もいたらもっと楽しいのになとも思った。

従兄弟と伯母はすぐに徳島へ帰っていった。

それから、祖父の遺骨を持って帰宅。

約一年ぶりの祖父の帰宅。

「おじいちゃんおかえり」             と声をかけた。

そうこうしているうちに、遺族年金の手続きだったり、祖父の簡易祭壇の組み立てだったりドタバタして休む暇はなかった。

マイペースな祖母に怒っている叔父と母の姿に、祖父が笑いながら見守っている気がした。

祖父が亡くなってからもうすぐ半年。

この記事を書き始めてから今まで、プライベートでもさまざまな事があった。

きっと、祖父も「ほなちゃんなら大丈夫」と微笑んでいるはず。

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