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インターロックドの3-6を解いているときに考えたアメーバと持続の草稿

インターロックドはスマートフォンのパズルゲームです。
3-6はステージの数字を指しています。
また、これは物語ではなく、254回目のチャレンジのときにふと頭に降りてきた考えをふと書き留めたものです。すなわち駄々漏れの思考を言葉にしたものと解釈頂ければ幸いです。

以下本文

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インターロックドの3-6が解けない。254回目。どこを動かしても詰まってしまう。

人生はパズルだ。

ふと頭に手垢にまみれた素敵な格言がよぎるけれど、それは正確じゃない。パズルは答えがあるけれど、人生に答えはない。

でも仮に人生がパズルだとしたらそれは□や△ではなく、もっとぶよぶよで、グチョグチョのアメーバのようなものだと思う。それらはゲルのような固体で、完璧に混じり合うことなくたまにガッチリ噛み合うこともある。そのアメーバが人生だ。 

アメーバのように生きている訳ではないけれど、実際自分が考え、動くときの姿勢は実にアメーバのようにぶよぶよしていると思わないだろうか?姿勢というか、思考だ。志向でもいい。

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ここまで考えて、ふと人生はそんなに複雑だろうか?と考える。ただ生きて死んでゆくのは、捉え方の問題だ。自分がどれだけ、自分に価値を見出すか。自分を形成するための要素にどれだけ真摯に向き合ったか。どれだけぞんざいに人を裏切ってきたか。どれだけ都合の悪いことを忘れられたか。人は忘れてしまうことで救われる。人生は忘れた先の、アメーバの中にあるのだろうか。

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ここまで書いて、ベルクソンのことを考えた。最近、ベルクソンのことを書いた本を図書館で借りた。まだ1章しか読んでいないけど、彼は時間を「持続」として捉えようとした。
つまりAM2:45という文字によって区切られたこの「瞬間」を、どうしたら生物が生き死にを繰り返すこの広場に開放できるかと考えた。しかもそれを言葉で行おうとした。言葉は今起こっている現実を表すための言葉を持たない。それはただ過ぎ去る過去の情報を写し取り、共有、理解出来るようにするだけ。過去によって、持続を理解しようとした。

まだ1章しか読んでいないけど、とても興味深い。ベルクソンはどうやって時間を持続させたんだろう。それともどうやって持続できなかったんだろう。

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ショーンオブザデッドを見る。疲れたので30分だけ見る。長回しが多い。長回しを見ると小津安二郎を思い出す。

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