発見

現象は常に中立的であり、そこに認識がなければ存在しえない。



例えば、目の前の🍎は自分(意識)の一部とも言えるし、それに対して投影をしている。

といっても、🍎はシャリシャリッ!で美味しいよね。
くらいにしか思わないのだが。


しかしあなたが🍎を見るとき、目の前の🍎もあなたを新鮮と見ているのだ。



これが認識せず存在はできないということだ。



ついに鶏が先か卵が先かに答えが出た。

それは寸秒の狂いもなく同時だ。
それは神秘だ。



現象が中立的であるならば、最も素晴らしい選択をしたいと思わないか?

記憶という幻想の連続性から脱し、飛び込むのだ。



最も素晴らしい並行世界に。



なぜなら現実と呼ばれる現実も幻想に過ぎず、すべて意識が投影されているからだ。


しかし選択する時はそれそのものになっていることを知る必要がある。

それは一時的な孤独を感じることもある。

なぜなら一時的に異なった周波数のさざ波を投じるからだ。


そして記憶というものは存在せず、その''記憶''と呼ぶ周波数に合った並行世界に移行しているだけである。

体は動かずともなァ!!


それぐらい私たちはとんでもないことを軽々と毎瞬こなしているのだ。
高次意識というセーフティネットの中で。




めちゃくちゃすごくないか?


ヤッヴェ!!( ᐛ )وアパァァァァァァァァァァァァァァ!!




よって、人のせい、環境のせい、あらゆる外界の事象のせい、という理論は分離から生じる。


外界も自分の一部であるから、特定の自分を否定していることになる。


つまり私たちは人間という枠を超えた意識である。


ふぁぁ…意識を知れば知るほど、すべてが愛おしくなる。



なぜなら…あなたなしでは万物は成立しえないから。

あなたの世界の、最後のパズルのピースはあなただから。




この摂理を超えた摂理もあり、何重にも影響し合っていて、本当に不思議だ…









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