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人は“環境”に育てられるもの。

私が「人は環境で育てられる」と感じた原体験について話そうと思う。おそらくこの原体験が影響した結果、私は“教育”というものに興味を持つようになった。

小学校時代の原体験

話は私の小学校3年生の時代まで遡る。
私が通っていた小学校は荒れていて、今でいう学級崩壊状態だった。

昔のドラマのようにバイクで廊下を走る、とかは(身長的に)さすがになかったけれど、友達の家から20万円盗んで豪遊して補導されたり、タバコを吸ったり「小学生にしてはちょっと早すぎない?」と思うくらいの出来事がよく起こる学校。

そんな中でも特にグレることなく育った私は、その友達の家からお金を盗んだリーダー格の子(仮にCとする)と割と仲良く遊んでいた。それまでは少々悪そうな印象はあったものの、大きな問題は耳にしていなかったし、なにより私と接するとき、彼はただの遊び友達だったからだ。

レッテル貼りする大人たち

そんなある日に先述の“20万円強奪事件”が起こって、周囲の親は戦々恐々。グループで盗みに入ったようだったのだが、そのグループの親は「Cと遊ぶな」という指令を子どもに出したようで、Cは孤立しはじめた。

グループにいた子どもの親からすれば、「うちの子が変なことをしたのはCがいたせい」とでも言うのだろうが、実行しなかったにしても盗みの場に一緒にいたのだから、止めればよかったと思う。止められないなら、そのグループから抜ければいいだけだ。

どちらの決断も下さずに盗みを実行しているのを傍観し、豪遊の場にもいたのに捕まったら「“Cが悪い”と手のひら返しするなんて卑怯だ」と幼心に感じたのを覚えている。友達ってそういうとき止めるんじゃないのか。と。

周囲の親もそうだったが、リーダー格の子が家に何度も遊びに来るほど仲が良かった私の母も、私に「Cくんと遊ばないで」と言ってきた。私は大変なショックを受けた。

納得しない私に対して「前に家に来たときにまみの貯金箱からお金を盗もうとしていた」とか、「他にもいろいろ悪さをしていると聞いている」とか後出しジャンケンのように情報を付け加え、その子と私を引き離そうと頑張って説得してきていた。

さて私はどう対応したかというと、悔しくて泣きじゃくっていた。

「なんでそんなこと言うの?」と言って抵抗するだけでなく、泣き始めた私に親は驚いていた。「なぜ泣いているの?」と聞かれたけれど、自分の気持ちをうまく説明することができないまま、小一時間ほど泣いていたように思う。理由が説明できぬまま「とにかく遊ばないで」と言われて話は一方的に終了した。

私が泣いた理由

別に私はそのリーダー格の子が恋愛的な意味で好きだったわけではないが、人として完全に悪ではなく、大人を試すような行動として悪いことをやっていると態度を見てなんとなくわかっていた。

冗談めかして直接「金くれよ~」とお金を要求されることもあったけれど、「友達でそんなのはおかしい。お金は渡さない。」と言って直接拒絶していた。別にそれで何かがおかしくなるわけでもなく、「えー」とか言いながらニヤニヤしているだけだったので「おかしなやつだな」くらいにしか思っていなかった。話がずれてしまったので、本筋に戻ろう。

なぜ泣いたのか、その理由を今の私が解説すると、下記の3つとなった。

1.悪いことをしたけれど、「本当に悪い子」ではない
2.悪い子のレッテルを貼れば、誰でも「悪い子」になる
3.親が私を信じていないことに対する失望感

1.悪いことをしたけれど、「本当に悪い子」ではない

先述したように、彼はそこまで悪い子ではなかったと今でも私は思っている。おそらく愛情を持って叱ってくれる親ないしは大人がいてくれたら、まだいわゆる「普通」に戻ってこられたと思うのだ。

「罪を憎んで人を憎まず」を周囲が実行すれば。

2.悪い子のレッテルを貼れば、誰でも「悪い子」になる

リーダー格の子は事件をきっかけにさーっと友達が離れていった。それによって学校の中でも悪いやつとしかつるむことがなくなり、加速度的に悪くなっていったのだ。

予測していた通り、友達がいなくなったことで最後のタガが外れてしまった。

3.親が私を信じていないことに対する失望感

親の頭の中では、「悪いことをする子と一緒にいたら、この子も悪いことをするようになる」と思っていたようだった。私にとって、この言葉は「あなたは正常な判断が下せないと思っている」と親に告げられているのと同じ意味だった。

なぜなら、私は自分の判断軸を小学校3年生でも持っていたし、悪いことに誘われたことは何度もあったが、「私そういうの興味ないし、そういうことは悪いことで、するものではない」と都度その子に伝えていたからだ。

それにも関わらず、一緒にいたら同質化するように言われたのは心外だったし、そう思われていることに対してなんとも言えない失望を感じた。

この3つを見ると、「小学校3年生にしては結構高尚なことを考えていたんだな」と実感するが、その当時はこのような3つの気持ちを抱えて泣いていたのだ。

この原体験で生まれた私の考え

期待しないという目にさらされながら生きれば、人は自己効力感が低くなり、そのイメージに合う行動をしてしまう。

Cはこれを小学校から体験していたのだ。その後、彼は少年院に入ってしばらく悪いことをやっては入ってまた出てきてという生活を繰り返した後、悪いことから足を洗い、バイトをして親を養うようになったと風のうわさで聞いた。

事件をきっかけに彼は周囲からは悪い子のレッテルを貼られ、変な方向に舵を切ってしまったことを悔やんでいると思う。戻れるならあのときに戻りたい。と。

誰かよりどころとなる友人や大人が1人でもいれば、踏み外さずに済んだかもしれない。私は自分がそういった存在になれなかったことを悔やんでいる。

この原体験で感じた3つを繰り返さないことが、幸せな人生作りに必要なのではないかと学ぶことができた。

彼に対してはもう何もできない。しかし、今後教育に関わる場面では、よく知りもせずにレッテル貼りをすることなく、その人(子ども)の人生がよりよいものになるよう接していきたいと感じた。


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