大学3年一般女性、「たちどまって考える」を読んで考えました。

昨年からやってみたいなあと思っていた ”note”

この度晴れて2021年を迎え、今年のやりたいことリストなるものにこれも加えていたので、早速書いてみようと思います。


記念すべき初投稿は、漫画家であり文筆家のヤマザキマリさんがコロナ禍に出版した「たちどまって考える」について。

大学3年生としてはなかなか珍しい(?)ことのようだけれど、私はNHKの朝ドラが大好きなので、その延長で朝イチを見ることが多いです。そこで以前、ヤマザキマリさんが出演した回を拝見したのですが、とても衝撃的でした。「テルマエ・ロマエ」はもちろん知っていたけれど、作者がこんな魅力的な方だったとは。イタリアとの深い繋がり、美術や歴史も専門的に学ばれていて、かといって全くお堅い感じがしない。むしろ、真剣だったり壮絶な話であってもユーモアを交えながらあっけらかんと話している。博多華丸・大吉や近江アナと軽快にトークを展開するヤマザキマリさんにすっかり見入ってしまい、期限が迫り来る課題も忘れてついついテレビに張り付いていました。

そんなヤマザキマリさんが執筆された「たちどまって考える」では、新型コロナウィルスをきっかけに浮き彫りになったあらゆる事柄について、鋭い視点をもって指摘されていました。印象的なテーマはたくさんありましたが中でも感じたのは、”考える”ということがいかに重要であるか。それは単に考えて終了にするのではなく、自分の頭で考え、そこで満足せずに自分の力で言語化し、さてそれを行動に変えることができるか。ということです。

そもそも「日本人は〜」とか、「若い人は〜」というカテゴリーで括られることが好きではないし、そうしないように努める必要があると常々思っていますが、それでも確かに日本人や若い人は、意思表明や発言ということに億劫であるとは思ってしまいます。海外のカルチャーに興味があったり、海外で留学やボランティアを経験したからかもしれませんが、自分を上手くアピールすることが本当に苦手な民族だなと思います。ヤマザキマリさんが述べていたように、「みんな一緒」を強いられているせいは大きいと思いますが、それにしたって同じ波に乗ろうとする人が多い気がしてしまう。それも、政治に対する活発な講義運動や、環境問題への取り組みではなく、なるだけ波風立てずに静かにしてたい、という波への同調です。

私は小さな時から自己主張が強いと実感しています。もちろん人の話は最後まで聞いて自分の中に吸収して噛み砕いて適当なレスポンスをするように心がけていますが。そうすると、必然的に意見をしっかり持っていて芯がブレない友達とばかり集まるようになったり、躊躇することなく意見を発信する方に憧れるようになりました。

そこでやはり感じてしまうのが、同書でも指摘されていた日本において見られる「議論の少なさ」です。本当にそう思いました。それでしかない、それに尽きる、若干21歳の私はまさにそう思いました。本当によくあります。自分の主張が強いせいかもしれないけど、それにしたって議論が進まない。刺激的な意見もなければ、ハッとさせられる意見もない。くだらない話をしてるときだってもちろん楽しいですが、やっぱり私はどこか討論というか議論というか、そういう場所を求めてしまうのです。私は Queen やDavid Bowie が最も好きですが、坂道グループや韓国アイドルも好きなので、もちろんそのような話もします。新曲やMVビデオが出れば、友達と「まって、やばすぎて泣いた、無理すぎる」などと感動しすぎてペラペラな感想を投げ合います。でも、すぐさま「ここはこうだったからよかったよね。この前とはこう違ったし、メイクのここが〜衣装のここが〜」などと分析体制に突入します。そうするとお互いに意見の食い違いも当然見えてきて、「え?なんでそう思ったの?私はこう思った」などと、求められてもないのにどんどん議論が進んでいきます。こういう友達が私と友達でいてくれていることに最も感謝したいですが、同時に思うのは本当に自分が意見を言い合う環境にフィットしているということです。これがあるおかげで、自分の意見ばかりを押し通さないで、刺激的で新しい周囲の意見を取り込むことができるのです。

私はぜひ、日常的に発生し得る議論に対して躊躇せずに参加できる人が増えてほしい、そう願っています。それを許す環境ができて、さらにSNSで匿名をいいことに議論という名の誹謗中傷が頻発する状況が改善されない限りは理想論に終わりかねないことだと思っているのですが、それでも自分の顔にシミとシワが目立つ前にはそうなっていてほしいと願っています。

アーティストだって俳優だって、社会人だろうが中学生だろうが、みんなが意見を自由に言えるようになってほしい。一人一人が意見表明をするようになれば、「若い人は〜」とか「年寄りは〜」とか、あるいは「俳優のくせに〜」なんて言わないようになるんじゃないでしょうか。もちろん意見を言うことで弊害が起きたり、反対意見を言ってくる人に押しつぶされるかもしれない。でも自分と同じように考えてる人だって、ゼロなわけがないと思うんです。確かに自分のことは自分しかわからないし、自分のことだって自分でわからないこともたくさんありますが、それにしたって100%意見が合わなくても、似たようなことを思ってる人は思いの外多いと思うんです。

私も発言を躊躇したり、周囲の目を気にすることが多々あります。ですが、そんな状況で(さらに絶賛就活中で)ヤマザキマリさんの「たちどまって考える」を読んだことにより、やはり常にアンテナをはり巡らせて自分の意見を持つこと、またそれを誰かにぶつけて議論の場に置いてみるということなどが、いかに自分を豊かにし実りを得るために重要であるか、そんなようなことを考えたのでした。

さあ、就活と卒論を進めねば。めんどくさいよ〜〜〜〜〜〜〜

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