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24日間禁酒したことで分かったこと

若い頃から、酒の味や香りが好きだった。
そして、幸か不幸か、アルコールパッチテストでは、肌が赤くなることはない体質で、ある程度のアルコールを摂取できる体を持っていた。

一方で、飲酒したことによって、体や心の状態が変化することは、好きではなかった。
酒を過ごして二日酔いになったり、長年の深酒がたたり、病気になったりすることは勿論、飲酒したことで気が大きくなって、普段なら決してやらないことをやることも、好きではなかった。酒を飲んでいなかったら話しかけられない人に話しかけてみたり、スキンシップをとってみたり、素面なら決して選ばない話題を選んだり…。
長年酒飲みをやってきたので、自分は酒を飲む側の人間だと思っていたし、酒飲みの心情が理解できると思ってきたし、酒飲みの失態・醜態に理解を示しながら生きてきた。
時には、酒を過ごした上での失態を、面白おかしく武勇伝のように仲間と語り合ったりもした。

だから、アルコールによって自らの状態がマイナスの変化をすることが、嫌いじゃない、許せる、と思ってきた。

でも、先日、あることがきっかけで、自分がコロナ禍になってから、何だかんだでほぼ毎日飲酒していることに、つくづく嫌気がさして、とりあえず21日間、あわよくば1ヶ月、禁酒してみようと決めて、実際には24日間、アルコールを飲まずに過ごした。その間、自分にとって、アルコールとはどのようなものなのか、「酒が無いとやってられない」と思っているが、本当に自分はそう思っているのか…色々と考えた。

その結果、「嫌いではない」と一生懸命に思い込もうとしてきたことが、自分の中で覆った。アルコールの味や香りは好きで、食事と共に飲めたらとても嬉しいものの、「アルコールによって変に気が大きくなること」「体も心も、何だかぼんやりふわふわした感じになること」「他者との距離感が時に近くなり過ぎること」「飲んだ直後はすごく眠くなるが、飲んで寝ると熟睡できず、変な時間に目が覚めてしまうこと」「チェイサーが無いと、頭痛に繋がること」「熟睡できなかったことや浮腫みにより、翌日の顔が残念過ぎること」が好きではないことを自覚した。
勿論、連日の深酒が、アルコール依存や病に繋がることは、以前から受け入れられないと自覚していた。

もしかしたら大恋愛とかとも共通するかもしれないが、「大好きだ」「これが存在しない人生は、何て味気ないことだろう」等思っていても、一旦その対象と距離を置き、冷静になってから、その対象への思いを確認すると、「好き」が100%ではなく、「このような部分は、実は好きではなかった」みたいなことが見えてくるかもしれない。その上で、対象との付き合い方を考え直してみると、最適な距離感が見えてくることがある。
その結果、対象との繋がりを断つこともなきにしもあらずだが、自分の場合は、完全に関係を断つに至ることは少なく、以前よりは距離を取る、ということになることが多い。

飲酒に関しては、この先一生一滴も酒を飲まないということにはならないだろう。
ただ、時には失敗しながらも、今の自分の体と心が大きくは変化しない位の酒量(多分、1合よりは少ない位)に抑え、飲む頻度も減らしていくつもりだ。
何故ならもう、好きではないと気付いたことを、敢えてやろうとは思わないからだ。

が、人間の(いや、安易に一般化した言い方をしてはならない。私の、だ)不思議なところは、敢えて好きではないこと、自分を痛めつけるようなことをしたくなる時期があることだ。
そのような迷宮にはもう、入り込まないようにしたいものだ。

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