大谷翔平と山本由伸に教えたい、L.A.スポーツのアンセム”I Love L.A."のトリビア
大谷翔平に続いて、山本由伸もロサンゼルス・ドジャースの一員となった。
MLBの2024年シーズンが始まれば、大谷と山本を見たさに、ロサンゼルスに日本からも観光客が押し寄せるだろう。
だが、本拠地ドジャースタジアムの入場チケットはすでに入手困難になっているという。
さて、ドジャースタジアムでは、ドジャースが勝利した瞬間に、"I Love L.A."という曲が流れる。
ドジャースだけではない。
ロサンゼルスに本拠地を持つ、NBA(バスケ)のロサンゼルス・レイカーズ、NFL(アメフト)のロサンゼルス・ラムズ、NHL(ホッケー)のロサンゼルス・キングス、MLS(サッカー)のロサンゼルス・ギャラクシーが勝利した時も同じようにこの曲が流れるのである。
”I Love L.A."は、ランディ・ニューマン(Randy Newman)というロサンゼルス出身のシンガーソングライターがつくって、1983年にリリースした曲である。
L.A.のスタジアムに集まった観客はホームチームの勝利の喜びと共に、この曲に合わせてこう叫ぶ。
「ロサンゼルス大好き!(I love L.A. We love it!)」
ロサンゼルスっ子でなくても、日本人であっても勝利の余韻に浸りながら、陽気なロサンゼルスを体現できる瞬間である。
だが、この曲、実は一癖も二癖もあるのである。
大谷翔平、山本由伸も知らないであろう、LAっ子のアンセムである"I Love L.A."のトリビアを紹介しよう。
①作者のランディ・ニューマンは、いまやディズニー映画音楽の巨匠
ランディ・ニューマンは1943年生まれ、ロサンゼルス市内の出身で、ハリウッド映画関係の仕事に携わる親戚を持ち、1960年代前半、10代から音楽のキャリアをスタートさせた。
1968年に、シンガーソングライターとしてデビューし、1970年代にはいくつかのヒットにも恵まれたが、1980年以降は、ハリウッド映画音楽の制作に軸足を置くようになった。
とりわけ、ピクサーのアニメーション映画の音楽を担当するようになると、映画「トイストーリー」の「君はともだち (You've Got a Friend in Me)」や「バグズ・ライフ」などを手がけた。
ランディは、ディズニーとピクサーのCGアニメ映画「モンスターズ・インク」(2001年)のテーマ曲である「君がいないと("If I Didn't Have You")」の作詞・作曲で、2002年のアカデミー賞で「歌曲賞」を受賞した。
実に16回目のノミネートにしてようやくの受賞だった。
その後も、「カーズ」「カーズ3」「プリンセスと魔法のキス」などのサントラも手掛けた。
ランディは2013年に、米国の「ロックの殿堂」入りを果たした。
②リリース当初、まったくヒットしなかった
ランディは1977年に、「ショート・ピープル("Short People")」という曲を全米シングルチャート最高2位に押し上げるヒットを放ったが、皮肉たっぷりの癖のある歌詞もあってか、一般に人気のあるアーティストとは言い難いものだった。
”I Love L.A."は、ランディの8枚目のアルバム”Trouble in Paradise"に収録され、1983年1月に、先行シングルとしてリリースされたものの、米国西海岸以外ではシングルレコードがほとんど流通せず、全米チャートトップ100にも入らなかった。
だが、まさかの「どんでん返し」が待っていた。
③1984年ロサンゼルス五輪で、NIKEのTVCMに使われて大人気に
しかし、1984年7月から8月にかけてロサンゼルス五輪が開催されることとなり、開催期間中、
スポーツアパレルのNIKE(ナイキ)がTVCMでこの曲を採用した。
https://www.youtube.com/watch?v=po6S8cizOXY
CMには、陸上のカール・ルイスなどが登場する上に、ランディ本人も出演し、この曲の歌詞にようにロサンゼルスの街中を赤いクルマに乗って巡っている。
このTVCMのイメージによって、"I Love L.A."は、LAっ子のアンセムへと変貌を遂げたのである。
④曲のヒントをくれたのは「ホテル・カリフォルニア」を歌ったドン・ヘンリーだった
ランディは、1970年代の米国西海岸を代表するロックバンド、イーグルスのメンバーと交流があった。
1980年代初頭、ランディは飛行機の中で、メンバーの一人であるドン・ヘンリーと会話し、ドンはランディにL.A.についての曲を書くべきだと主張した。
ドン・ヘンリーは1977年に、イーグルスがヒットさせた「ホテル・カルフォルニア」の作詞とヴォーカルを担当していた。
「ホテル・カリフォルニア」も、陽気なカリフォルニアのイメージを覆すような、暗く陰鬱なサウンドとシリアスな歌詞だが、西海岸ロックの名曲とされており、米国の音楽雑誌「ローリング・ストーン」の選ぶ「オールタイム・グレイテスト・ソング500(2010年版)」において49位となっている。
2013年にランディが「ロックの殿堂」入りした際も、受賞を祝うスピーチを行ったのはドン・ヘンリーだった。
⑤バックバンドは、TOTOのメンバーだった
”I Love L.A."のレコーディングメンバーは豪華だ。
リードギターのスティーブ・ルカサーを始め、TOTOのメンバーが参加している。
TOTOは1970年代後半、米国西海岸の名うてのスタジアムミュージシャンたちで結成され、1982年に発表された4枚目のアルバム"TOTO IV"(日本語タイトル:「聖なる剣」)は全米アルバムチャートで最高4位を記録する大ヒットとなり、1982年のグラミー賞では、主要部門の「レコード・オブ・ザ・イヤー」や「アルバム・オブ・ザ・イヤー」を含む、6部門を受賞しており、すでに日本でも人気を博していた。
⑥コーラスにはフリートウッド・マックのリンジー・バッキンガムとクリスティン・マクヴィー
さらに、コーラスも豪華で、1970年にアルバム”Rumors"(日本語タイトル:「噂」)が全米アルバムチャートで32週連続1位という大ヒットさせたフリートウッド・マックのメンバーである、リンジー・バッキンガムとクリスティン・マクヴィーが参加している。
⑦実はロサンゼルスをバカにした歌だった?
"I Love L.A."は、NIKEのCMを観ればわかるように、一見、陽気なメロディと、ビーチ・ボーイズやロサンゼルスの名所が次々と登場するお気楽なアンセムとみられがちだが、実はランディの「ひねれく根性」丸出しの歌なのである。
イントロの歌い出しの歌詞でいきなり、ランディ節が炸裂している。
これはランディのニューヨークに対する先制攻撃ではなくて、元ネタがある。
1930年代に作られた"The Lady is a Trump"というスタンダードナンバーに、こういう一節がある。
この曲は、フランク・シナトラや、トニー・ベネットなども歌っているが、ランディはこの一節をパロって、お返ししたのである。
シカゴという街に対してはもっと辛辣で、「あんなクソ寒い街はエスキモーにくれてやれよ」、とランディは言っているのである。
では、ランディの故郷であるロサンゼルスに対してはどうかというと、実はニューヨークやシカゴ以上に辛辣にdisっているのである。
"a big nasty redhead at my side"というのは、「助手席に乗ってる図体のでかい赤毛のイヤな女」という意味である。
"Santa Ana"はオレンジ郡にある地名だが、ここは不快な熱を持った風が吹いてくる場所なのである。
では、ロサンゼルスの住民たちの様子はどうなのか。
ここまではいいのだが、ここでまたランディ流の「風刺」が炸裂する。
"bum"というのは、「浮浪者」「ホームレス」を指しているのである。
風光明媚な山や、ヤシの木、カリフォルニアの美しい女性たちの中に、ホームレスがカネをめぐんでほしいとひざまづいている姿が混じっているのである。
極めつけはラストの歌詞だ。
ロスアンゼルスの通りの名前を列挙して「大好き!」と言わせているが、"Century Boulevard"も、"Victory Boulevard"も、1980年代当時、これらの通りはみな、治安が悪くて近づいてはいけない、と言われた代表的な通りの名前だったのである。
そして、TOTOのスティーブ・ルカサーのギターソロの後に、ランディも"I Love L.A."と連呼して、この曲は終わるのである。
つまり、"I Love L.A."は、L.Aに対するアンセムに見せかけた、皮肉ソングであり、しかし、ランディの真意を誤解したNIKEがこの曲をCMソングとしてアンセム扱いし、一人歩きしてしまったのである。
(もちろん、ランディ本人も利用を承諾しているが)
だが、ランディは本当に、心の底からロサンゼルスが嫌いなわけではない。
そういったダメな部分、暗部も含めて、"I Love L.A"と歌っているのである。
大谷翔平、山本由伸は知る由もないだろうが、ドジャースの勝利の凱歌である”I Love L.A."にはこういう背景が隠されているのである。
そういうランディ・ニューマンの屈折した”L.A.愛”に思いを馳せながら、聞いてみるのも面白いだろう。
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