今永昇太も叫んだ”Go Cubs Go"、カブスのアンセムの誕生ストーリー

シカゴ・カブスの今永昇太がメジャーデビューを最高のピッチングで飾った。

今年1月13日、シカゴ市内のホテルでカブスの入団会見に臨んだ今永昇太は、カブスのユニフォームに身を包み、居並ぶメディアを前に冒頭、こう切り出した。


"Hey, Chicago, what do you say?  
The Cubs are gonna win today.
Go Cubs Go!"

このフレーズは、シカゴ・カブスのアンセムソングとなった"Go Cubs Go"のサビの部分である。

今永昇太はこのフレーズで、シカゴのファンのハートをがっちり掴んだに違いない。

それからスプリングトレーニングを経て、迎えた4月1日、今永昇太はカブス本拠地のリグレーフィールドのマウンドに上がった。

結果は6回を投げて、被安打2、9奪三振、無四球、無失点。
6回2死までは許した走者は失策の走者のみという、ほぼ完ぺきな投球だった。

コロラド・ロッキーズの並み居るバッターが今永のボールにてこずっていた。
コーナーに決まったボールに手が出ず、果てはド真ん中を空振りさせた。

カブスでも活躍した往年の名投手、グレグ・マダックスのように、「精密機械」といってもよい投球だった。

これでカブスファンはますます、Shota Imanagaのとりこになったのではないだろうか。

では、今永昇太も歌詞を引用した"Go Cubs Go"をつくったのは誰なのか?

それはフォークシンガーのスティーブ・グッドマンである。
いまから40年前、1984年の話だ。

カブスの大ファンのフォークシンガー、スティーブ・グッドマン

スティーブ・グッドマンは1948年7月25日、イリノイ州のシカゴで生まれた。
苗字からわかるように、ユダヤ人の家系である。
スティーブの大叔父は地元の新聞社に勤務しており、そのコネでスティーブはリグレーフィールドに無料で入場することができたため、大のカブスファンとなった。

彼は高校生の時に歌うことに目覚め、イリノイ大学に進学すると「ジューシー・フルーツ」というバンドを結成した。
音楽の世界に進もうと大学を中退して、ニューヨーク・マンハッタンにあるミュージシャンたちが集まるグリニッジヴィレッジに滞在したが、すぐにシカゴに戻り、再び大学に通いながら、CMソングを歌って生計を立てていた。
しかし、20歳になった時に、彼の人生を揺るがす現実が身に降りかかった。
彼は白血病を患っていたのだった。
わけもなく疲労が抜けないと感じていたのはそのせいだった。

スティーブは再び大学を中退し、限りある人生を音楽活動に注ぎ込むことにした。
1971年、スティーブは23歳でレコードデビューを果たした。
一方で、シカゴのバーで演奏していたところで、ポール・アンカを紹介された。
ポール・アンカは「ダイアナ」などのヒット曲で知られるシンガーである。
スティーブはアンカの手引きで再びニューヨークに赴き、作詞・作曲に打ち込むようになった。

そして、ここで、スティーブがアーロ・ガスリーと出会ったのが最大の転機となった。
アーロは、ウディ・ガスリーという、ボブ・ディランも傾倒する伝説のフォークシンガーの息子であった。
アーロはスティーブの演奏を気に入り、スティーブが作詞・作曲した"シティ・オブ・ニューオリンズ(City of New Orleans)”という歌をレコーディングして発売した。
すると、この曲は1972年、全米シングルチャートで最高18位に入るヒットになった。
このことにより、スティーブはソングライターとしてキャリアを確立することができたのである。

スティーブはアメリカのフォークミュージックの世界では名前は知られていいたが、自身の作品のヒットにはあまり恵まれなかった。

一方で、カブスの大ファンであるスティーブは、同胞であるカブスファンについて歌った曲を発表した。
それが、1981年、"A Dying Cub Fan's Last Request"という曲である。
「死にゆくカブスファンの最後の願い」という意味だ。
なぜ、スティーブはこのような曲を書いたのだろうか。

カブス、1945年以来、遠ざかる「優勝」

シカゴ・カブスは1871年にシカゴ・ストッキングスとして創設され、ナショナル・リーグの中地区に所属するが、フランチャイズ移転を一度も経験していな稀有な球団の一つであった。
19世紀にはリーグ優勝を5度、経験し、20世紀に入ってからも1906年から1908年までリーグ3連覇に輝く強豪であり、1906年にはシーズン116勝といういまだに破られていない記録を持っている。
しかし、1908年を最後にワールドシリーズ制覇から遠ざかり、1945年に16度目のリーグ制覇を果たしてから、ぱったり優勝に縁がなくなった。

特に1945年のワールドシリーズでは、カブスの大ファンであるビリー・サイアニアスがいつものようにリグレーフィールドに自分の飼っていたヤギを連れて観戦に向かったが、この日に限って入口でヤギの入場を断られたことに腹を立て、「カブスはワールドシリーズでは2度と勝てない!」と捨てセリフを残して立ち去った。
これがいわゆる、「ヤギの呪い」である。

スティーブも生まれてこの方、カブスの優勝は一度も目にしていない。
こうして万年、優勝から遠ざかっていたカブスファンの気持ちを代弁した曲をつくったのである。

しかし、"A Dying Cub Fan's Last Request"は、その歌詞があまりにも自虐的なものであったことから、カブスのGMから嫌われてしまった。

特に歌詞の中で、「カブスはナショナル・リーグの”ドアマット”」という表現がよくなかった。
”ドアマット”は家の入口にあって、いつもみんなに踏みつけられる存在である。
要するに、カブスは、リーグの中で万年、「ドベ」という暗喩だった。
スティーブは愛するカブスをバカにする気は毛頭なかったが、カブスからリグレーフィールドでこの曲を演奏するなと禁止されてしまった。

”Go Cubs Go"の誕生

1984年の開幕前、シカゴの地元のラジオ局であるWGNは、カブス戦の実況中継のテーマソングを書いてほしいと、スティーブに依頼した。
スティーブは快く承諾し、"Go Cubs Go"という曲をつくった。


Baseball season's underway
Well, you'd better get ready for a brand new day
Hey, Chicago, what do you say?
The Cubs are gonna win today


野球のシーズンが始まるね
そう、新たな1日の始まりの準備をしなくちゃ
ヘイ、シカゴ、どう思う?
今日、カブスが勝つに決まっているよな

[Chorus]
They're singing
Go, Cubs, Go!
Go, Cubs Go!
Hey, Chicago, what do you say?
The Cubs are gonna win today

[コーラス]
みんな歌っている
ゴー、カブス、ゴー!
ゴー、カブス、ゴー!
やあ、シカゴ、どう思う?
今日、カブスが勝つに決まってるよな

"A Dying Cub Fan's Last Request"とは打って変わって、明るい歌詞、親しみやすいメロディになった。

この曲は約束通り、1984年のシーズン開幕から、WGNのカブス戦の実況中継のテーマソングとして、毎試合、オンエアされるようになった。
すると、カブスは破竹の勢いでナ・リーグ中地区の首位を走り、9月24日、見事、地区優勝を決めた。
カブスにとって、実に1945年以来、39年ぶりに味わう優勝であった。
カブスはリグレーフィールドで行われるプレーオフで、スティーブに国家斉唱を依頼した。

しかし、残念ながら、スティーブにその吉報が届くのは少し遅すぎた。
カブスが地区優勝を決めた4日前、1984年9月20日、スティーブはシカゴから遠く離れた西海岸のシアトルで息を引き取っていた。36歳であった。
同時に長きに渡る白血病との闘いも終わった。

スティーブの友人たちの手によってスティーブの遺灰の一部がリグレーフィールドに撒かれた。

”Let my ashes blow in a beautiful snow…"

私の灰を美しい雪の中で吹かせてほしい

"A Dying Cubs Fan's Last Request"の一節である。
この曲に登場する「死にゆくカブスファン」の”最後の願い”とは、リグレーフィールドに遺灰を撒いてほしい、というものだったのである。

スティーブがつくった”Go Cubs Go"は1987年のシーズンまでカブスのチームアンセムとなった。

カブスの「呪い」は解けず、世紀の”事件”で65年ぶりワールドシリーズ進出を逃す

その後、カブスは1989年、2003年も地区優勝、1998年にはワイルドカードでのプレーオフ進出を果たしたが、ワールドシリーズには辿り着けなかった。

特に2003年はリーグ優勝・ワールドシリーズ進出を懸けたナショナル・リーグチャンピオンシップで、カブスはフロリダ・マーリンズに3勝し、あと1勝まで迫った第6戦もカブスが7回裏を終え、3-0とリードしていた。
しかし、8回表、マリーンズの攻撃、一死2塁の場面で、レフトのファウルグラウンドに飛んだ打球をカブスのレフト、モイゼス・アルーがフェンスの真上に手を伸ばして捕球態勢に入ったにも関わらず、カブスファンの26歳の男性も手を伸ばしてキャッチしに行き、捕球を邪魔してファウルにしてしまってから状況が一変。
カブスはリーグ優勝まであと5アウトのところから、一挙8点を奪われる大逆転負けを喫し、そのまま第7戦も敗れ、68年ぶりのワールドシリーズ進出は夢と潰えた。
その後、シカゴではこのファンの所業を巡って一大騒動にと発展してしまったのである。


”Go Cubs Go"の復活、そして、ついに悲願達成

その後、カブスは2007年に地区優勝を果たしたが、そのシーズンは試合終了後に、リグレーに集まったファンがこの曲を歌うようになった。
特にリグレーフィールドでカブスが勝利した後、テレビの中継カメラが、熱唱するカブスファンの姿を映すようになると、この曲はますます人気を博するようになった。

シカゴ・カブスは2016年、ついに悲願のワールドシリーズ制覇を手に入れた。1908年以来、108年ぶりの歓喜である。
スティーブの死後から実に32年もの月日が経っていた。

スティーブの本当の”最後の願い”がついに叶ったのである。

そして、スティーブのつくった"A Dying Cub Fan's Last Request"は、2018年、オマハ・ワールド・ヘラルド紙が選出した、「野球の歌ベストナイン」で堂々、1位となった。

今季、今永昇太が登板した試合で、この曲"Go Cubs Go"がたくさん流れれば、おのずとカブスの優勝が見えてくるだろう。








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