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小さく本屋をすることは、

今日は私が小さくひっそりとしている本屋について書いてみようと思う。

去年の11月、地元でオープンしたシェア型本屋の棚主として小さな本屋を始めた。私が今住んでいるところと地元はかなり離れていて私の生活リズム上、定期的に帰ることはできない。そのため、棚主として参加させていただいてはいるけれど、お店番はせず、なおかつ本はこちらから店舗へ郵送し向こう側で並べてもらっている。

「本屋」と名乗って入るものの、私自身が実際にしていることは大してない。

この現実は始める前から承知の上だった。それに加え、お店番をしない棚主はお店番をする方より利用料が少し高く、郵送代もかかる。しかも売っているのは古本なため手を出しやすい価格のもののみ。あまりお金の話をしたいわけではないが、やればやるほど赤字なのも現実。

遠方で棚主をすることに躊躇いがあり、店主の方と事前にお話をさせていただいた上で棚主をすることを決めた。今でも本を並べてくださったり、店舗の写真を撮っていただいたりと店主の方の協力もあってなんとかやってこれている。事前にお話しさせていただいていたことで、初めてから想定外の出来事は起きていない。

このような現実がある中、どうして本屋をすることを決め、続けているのか。
絞り出しながら言葉にしてみようと思う。

最初は、本に関わりたい、遠方だけど地元との繋がりを作りたい、そんな単純な理由にすぎなかった。ちょうど何かやりたくなっていて(副業みたいなきっちりとしたことではなくて、趣味のちょっと延長みたいなイメージ。お金を関わらせたい気持ちは全くなかった。)、棚主の募集と自分の気持ちが合うタイミングだった。

始めて4ヶ月ほどが経過し、最初の頃とは本屋に対する気持ちがなんだか違ってきているのでは…と感じ始めている。

浮かんだままの言葉で話すとしたら、”その先”。
本屋は、自分という人間の存在とはまた別の形の自分の存在だと思う。人間の形の自分は、今の地に越してきてそれなりに理想とした暮らしができつつある。その人間の暮らしの土台ができ始めたからこそ今度は、人間の形ではない自分(=本屋)で心の理想を作ることに挑戦したいみたいな感じだろうか。ここで表現した「心の理想」とは、「何かしたい」を意味する。(この一文をあえて書いたのは、「心の理想」と聴くと、精神面をイメージしてしまいそうだったから。本文とはずれるが、私は精神面は”理想の暮らし”の中に位置している気がしている)

私の場合、「何かしたい」と思った時の「何か」とは、自分自身を表現するものをよく頭に思い浮かべている。人間の形の私自身ではなく、形を変えて私自身を表現したいみたいな感じだ。

人間の形ではない私自身が今は本屋という形になって、それを土台に(言葉を選ばずにいうのであれば、利用して)もう一歩先に進みたいと感じるようになった。本屋は要はスタート。本屋という形を使って何かをしたいと感じているみたいだ。

今まで、「何かしたい」と思いながらなかなか形にせずここまできた。気持ちはあるのに形にしてこなかったのは、一番は形にする勇気がなかったわけだが、土台となるものがなく手ぶらな状態だったからなのではないかなとうっすらと感じている。手ぶらな状態で何かを始めるにはそれなりの勇気や勢いが必要だろう。だからこそ、本屋という土台を作ってみて、それがスタートなんだという実感と人間の形をしていない自分の形の存在が欲しかったことに気づけた。

「本屋という形で何かしたい」と書いていながら、何をしたいのか全く分からないし、今後の構想があるわけでもない。「何かしたい、何かしたい」と口だけの状態で大変恥ずかしいのだが、私としては、上に書いた実感と存在の欲望に気がつけたことがまずは大きな成果だと感じて、忘れないように、今の記録として言葉に残しておきたかったのだ。


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