名残 ♯1

(突然書き始めてみます。フィクションです。続けるかも。)


 プレハブのようなつるんとした建物には玄関と呼べるようなものはなく、昼間はトラックが始終出入りしている砂利道に面したアルミサッシの引き戸と、鉄の外階段から上がる無骨なドアの二箇所がそれぞれ入り口になっている。
 朝一番に来るのは、勤めはじめてもう二十年にもなる年嵩の従業員で、毎日、その両方の扉と、納品用のシャッターを開ける。一旦開けると夏も冬も一日中開けっ放しで、夜、仕事を終えて最後に帰る誰かが申し訳のように警備会社のセキュリティスイッチを入れるが、たとえ物盗りが入ったとしてもめぼしいものなど何もない。
 あれは確か四年ほど前だったか、夜中、道路に面したガラス窓が割られ、警報機が作動したことがあった。どんな仕組みになっているのかは知らないが、おそらくその場で非常ベルが鳴り響き、警備会社に連絡がいったのだろう。直後に、緊急連絡先として登録されていた社長の自宅に電話が入った。社長の家は、車で十分程度だ。冬の寒い時期のことで、慌てていつもの作業着に着替え、真っ暗な中駆けつけてきたのだが、中を物色した形跡はあれど被害はそのガラス一枚だけだった。
 ここ数年、それでも付近に建売住宅がいくつか建ったが、まだまだこの辺りは田圃と畑ばかりのがらんとした土地で、二階建てのこの小さな工場でさえ随分と目立つ。あそこならなにかあるのかもしれない、ともしかしたら思ったのかもしれないその泥棒に、その時にはもう最初に連絡を受けた時の驚きと怒りが収まっていた社長は多少同情さえした。
 なにかありそうに見えたとしても、この工場には何もない。使っている機械の類はどれも買えば値は張るが、人一人で簡単に動かせるようなものでも売り飛ばせるようなものでもない。機械には使う人間の癖がどうしても染み付くものだし、どこか調子が悪くなってメーカーに修理を頼めばそこからたちまち足がつく。だから、たとえ破格の中古でも、盗品に買い手はつかないと思ったほうがいい。鉄のかたまりとしての価値はあるかもしれないが、組織された窃盗団でもない限り運ぶのは難しいだろう。二階の事務所には小さな金庫があるが、そこに入っているのは手形と小切手帳と、現金が数万円くらいなものだ。泥棒だって、さぞかしがっかりしただろう。

 社長は、乗ってきた軽トラを砂利敷きの駐車場に突っ込んで停め、入り口の小さな箱型の機械に薄っぺらいカードを差し込んでセキュリティを解除した。外階段を大きな音を立てて上がり、引き戸を開ける。日曜日、工場はガランとしている。
 誰もいないせいか、足元から冷え冷えとしてくるようで、ロッカーに投げ出してあったむくむくしたジャンパーを羽織った。コーヒーを飲もうか、と思い、食堂として使っている小部屋へ入る。土曜にパートの誰かが洗って帰ったのだろう、ふきんが窓際の衣紋掛けにつるされていた。社長はチラッとそれを見やり、ああいう干し方をするのはあいつだな、と思う。幼い顔に、茶色くした髪。眉毛を寄せてともすれば不満そうにみえる表情をいつもしているが、仕事はきちんとしていた。そのふきんも、きっちりと角が丁寧に伸ばされて干してあった。
 水道からジャブジャブと水を入れ、やかんを火にかけておいてから、ひとつずつパックになったドリップのコーヒーを取り出す。出入りの業者が定期的に置いていくものだが、蒸らしながらゆっくりいれれば、インスタントよりは旨いと思う。社長は、缶コーヒーが嫌いだった。どうもあれはインチキな味がする、というのがいつもの言い分で、飲み終わると舌がベタッとするというのだ。それなのに、丁寧にいれたコーヒーでも砂糖をたっぷり入れないと飲まない。
 いつものように甘くしたコーヒーを立ったまま飲んでいると、ふと、流しの脇に置かれた灰皿に気づいた。タバコの吸殻が山になっている。帰る前に始末しろっていつも言ってるだろうによ、と苦々しく思いながら吸殻入れの赤いバケツにざらざらと空ける。もくもくと灰が舞い上がった。どうもあいつはだらしなくっていけねえ、しかも仕事中に平気でタバコをすいやがる、と、甥っ子の顔を思い浮かべる。しかし、小僧のように思っていた奴ももう三十を越え、実際にはこの工場を仕切っているのだった。
 そういう社長本人も、昔は馬鹿みたいにヘビースモーカーだった。今でも売っているのかどうか、エコーという橙色の小さいパッケージを一日に何度も空にするくらいだったが、ある日を境にパタリと辞めた。
 もう、二十年も前のことだったか、同じ工場で働いていた弟が、咥えタバコで切断機を扱っているのを見て、カチンときてみんなの前で怒鳴りつけた。お前はタバコなんて吸いながらよく仕事できるな、何様だと思ってやがる、と怒鳴ったのだったが、その少し後、気づけはいつもの癖で自分もタバコを吸いながら仕事をしていた。誰かに指摘されたわけではなかったし、弟も何も言わなかったが、これはまずい、と思い、自分もその日を境に吸わなくなった。自分ではきっぱりと辞めたつもりだったが、妻は今もその話になるたび、「煙草をやめた当時はイライラして、あたられて大変だった」と言う。
 怒鳴りつけられた弟の方は、しばらくふてくされて仕事をしていた。五人兄弟の一番下で、昔から甘ったれだった。社長とは十以上も歳が離れていて、弟のような、子どものようなものだった。
 東京大空襲のときだって、赤ん坊だったあいつを背負って逃げたのだ。………ねんねこに火がついてあの時は大変だった。いや、火がついたのにも気づかずとにかく夢中で逃げ、ようやく人心地ついてねんねこを脱いで見ると、焦げた後があって驚いたのだったか。
 夢中で駆け抜けて町外れまででると、今度は腹が減って仕方がなかった。一緒に走って逃げたはずの母親とは、途中ではぐれてしまっていた。母だと思って追いかけた後姿が別人のものだと分かったときは途方に暮れた。見渡しても知り合いなど見つかりようがなく、それでも背中におぶった弟をあやしながらとぼとぼと歩いていると、歯磨き粉の工場の焼け跡に人だかりがしていた。人垣を足の方から掻き分けるように中に入り、どうやって手に入れたのだったか、転がっていたカンヅメをつかんで逃げて、それを夢中でこじ開けて食べた。
 とにかく、持っていたものはみんな取り上げられた時代だ。あの時もう少し賢かったら、と何度もくやしい思いをしたのは戦後しばらくたってからのことで、その時は何とも思わなかった。だが、あの時財産を上手く隠したやつらはみんな、あそこまでの苦労はしなかったのかもしれない。上手く儲けたやつらもいた。……それでもまあ、自分もこうして何とかやってきた、と思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?