日向坂×セイバー 特別編 #2

※特別編は剣士たちのリフレッシュ旅行を描いた話です。戦闘シーンは一切ございません。

  ◇ 陽菜

 露天風呂のお湯に浸かってぼんやりとしていると、突然後ろから誰かに抱きつかれた。
「だーれだ」
「史帆さんですか?」
「あったりー」もはや最初から隠す気がないような様子だった。史帆は抱きついたままお湯に入り、陽菜の身体の後ろに入り込んだ。
 しばらくそのまま、外の景色を眺めていた。なんだか都会で見る夕陽よりも、遥かに綺麗に見えた。
「なんか、いつも見てる太陽とは別物みたい」史帆も同じことを考えていたらしい。
「太陽ってさ、一つしかないのにめっちゃ色んな色あるよね」
「私も思います、それ」陽菜はそういうことを考えるのが好きだった。「空って、絶対に同じになることってないじゃないですか。色にしても空色って水色っぽいイメージですけど、実際の空色って一色じゃなくて、今の夕焼けみたいな赤っぽい色とか、夜明けの白っぽい色とか、日が沈んだ後の藍色みたいな色とか。だから、今見てる空は今しか見れないんですよね。同じ瞬間はもう二度と来ないんだなって。きっと、今こうして見てる空も、時が経ったらかけがえのない唯一の思い出になるんですよね。嬉しいことも、嫌だったことも、一回だけの大切な思い出で」
「なんかすごい素敵なこと考えてるじゃん。いつもそんなこと考えてるの?」
「あ、でも結構宇宙とかについて考えるのは好きです。割といつも考えてるかもしれません」
「へえ、素敵ー」史帆が腕を少し動かして、きつくした。偶然だとは思うのだが、史帆の腕が上下から陽菜の胸を挟むようにしてくるため、陽菜としては何とも居心地が悪い。
「あ!陽菜ー」史帆がゆらゆらと揺れ、それに合わせて腕に挟まれた胸が揉まれるような状態が続き、故意でないにせよさすがに恥ずかしくなってきたところに、明里が笑顔で露天風呂に入ってきた。「なんかね、あっちに色んなお湯あったよ。なんか、美肌効果とか」
「え、私行ってこようかな」史帆が腕を解いた。胸が開放感を感じる。
「この前占いで『そろそろお肌の曲がり角が来る』とか言われたんだよね」
「お!ベストタイミングじゃないですか!さっき行ってきましたけど、良かったですよー」すーっと明里がこちらに寄ってくる。
「じゃあ行ってくるわー」明里と入れ替わるように、史帆がお湯から出て行く。最後にぐっと胸を持ち上げられた気がしたが、偶然当たっただけだろう。支えを失った乳房が再びお湯に沈み、ちゃぷんと音を立てる。
「何話してたの?」明里がすぐ隣で、沈んでいく太陽を眺めながら聞いてきた。
 簡単にさっきの内容を繰り返して話す。明里は最後まで聞いた上で「へえ。陽菜って案外、色々考えてるんだね」と感想を口にした。
「なにそれ。普段陽菜が何も考えてないような言い方じゃん」
「まあ今のは語弊があるけどさ。でも、陽菜がメギドにされた時の記憶を消さなかった理由が少しわかった気がする」
 そこで、視界の隅に菜緒と愛萌が露天風呂に入るのが見えた。
「菜緒ってさ、本当にかわいいよね」思わず漏らしていた。「久々に近くで見て、改めて思った」
「それ、本人に言ってあげればいいのに」明里が笑う。
「えー、でも恥ずかしいじゃん」
「本当に、陽菜ってツンデレの煮凝りみたいな人だよね」明里がからかうように笑う。
「今日も、一回も菜緒に話しかけられなかったんだよね。緊張しちゃって」
「ああ、ちょっとわかるかも。なんか、最初確かに菜緒って綺麗すぎて近寄り難い印象あったかも」
 それを聞いて少し意外に感じた。「丹生ちゃんもそんなこと感じるの?」
「そりゃそうでしょ!明里をなんだと思ってるわけ?」
「でも、その割には最初っから普通に話しかけてたよね」
「ああ、まあそれはそれ、これはこれ。でもさ」明里が急に真面目な顔になった。「せっかく一緒にいられるんだから、緊張しても話しかけた方がいいと思うよ」
「なんで?」
「さっき陽菜が言ってた通りだよ。一緒にいられる時間は、一回しかないかけがえのない時間。それを、話したいのに遠くから眺めてるだけじゃ、もったいないどころの話じゃないよ」明里は真っ直ぐに、太陽を見つめていた。
「一緒にいられる時間を大切にしなきゃ。恥ずかしくても、一歩踏み出してみれば、きっともっとかけがえのない、キラキラ輝く思い出になるよ」

  ◇ 愛萌

 菜緒の隣に、脚を伸ばす。ちゃぽん、とかわいらしい音を立てて、お湯が小さく跳ねた。
「夕焼け、ぎりぎり間に合ったね」菜緒に笑いかける。露天風呂はそれなりの広さがあり、少し離れた場所に陽菜と明里が、そのさらに奥には彩花と芽依が、並んでお湯に浸かっていた。
「ごめんな、菜緒がうじうじしてて、ちょっとしか見れなくて」
「ううん、全然そんなのいいんだって。結果こうして見れてるんだし、私は菜緒といられればそれで」
 菜緒が夕焼けを眺めているのをいいことに、愛萌はじっと菜緒の横顔を見つめていた。夕陽が菜緒の瞳に反射して、キラキラと輝く。温泉に浸かってリラックスしているせいか、夕陽に見入っているせいか、半開きになった菜緒の唇が見えた。無防備なその唇に視線が吸い寄せられる。収まりかけていた感情の昂りが、再発しそうになる。
「わあ、すごい!めっちゃ綺麗!」
 突然彩花の声が響いたことで、はっと我に返る。そこでようやく、辺りが暗くなり始めていることに気がついた。
 先程まで真っ赤に燃えるようだった太陽は、山の際で最後の輝きを放っていた。黄金に光り輝く空が、上に行くに従って次第に濃い青色へと変わっていく。見事なグラデーションだった。
「すごい、こんなん初めて見た」珍しく菜緒が少しはしゃいだ声を上げた。「めっちゃ綺麗」
 思わず反射的に菜緒の方が綺麗だよ、と言いそうになったが、あまりに陳腐なのでさすがに堪えた。それに、目の前に広がる空は確かに美しく、その美しさをわざわざ菜緒と比べる必要も感じなかった。
「ほんと。こんな景色が存在するなんて」
 対極とも言える黄金と濃紺のグラデーションは、ワンダーワールド以上に現実離れして見え、いやワンダーワールドは紛れもなく実在するのだが、とにかく非日常感のある、幻想的で美しい風景だった。
 しかしそんな素敵な空は一瞬で、すぐに日が沈んだ。空には既に無数の星が煌めいている。
「ねえ、ものすごいありきたりなこと言っていい?」
「間違っても『プラネタリウムみたい』とか言わないでよ?」
「やっぱりばれたかー」
 考えてみれば、プラネタリウム自体が星空を模しているのだから似ているのは当然で、さらに言えば厳密には星空がプラネタリウムみたいなのではなくてプラネタリウムが星空に似せているのだ。
「菜緒、星座とかわかる?」
「星座?んー、あんまわからへん。オリオン座くらい?」
「あ、でもちょうど今は冬だし、見えるかな」とオリオン座の姿を探すが、見つけることは出来なかった。時間が早すぎるのかもしれない。
「陽菜とかわかるかな?」時々空を眺めているのを見たことがある。「宇宙について考えるのが好きとか言ってたし」
「どうだろう。考えるのと知識があるのは違うんじゃない?」そこで一度会話が止んだ。
 しばらく二人でそのまま空を眺めていた。少しすると月明かりが射し込み、先程とは異なる種類の幻想的な雰囲気が出てきた。
「星座ってさ」愛萌は口を開いた。「身も蓋もないこと言っちゃえば、ただ星を線で繋いだだけだよね」
「ほんまに身も蓋もない」菜緒が小さく笑う。
「でも」愛萌は続ける。「とっても素敵だと思わない?無数にある星の中から、選ばれた星が結ばれる。星座だけじゃなくて、七夕の織姫と彦星だって、実際はただの星なのに、結ばれることによって新たな物語が生まれる。夜空を見上げて、物語を想像しながら星を結ぶ。今じゃなかなか出来ない、ロマンチックで壮大な遊びだよ」
 菜緒は黙ったまま空を見上げていたが、聞いてくれているのはわかった。しばらくまた沈黙が続いた後、今度は菜緒が口を開いた。
「海よりも広いものがある。それは空だ。空よりも広いものがある。それは」
「人の心だ」先回りして答えると、菜緒が表情を崩した。
「さすがに知ってたか」
「それくらいはね。文学部卒業してますから」
「でも、まな日文専攻でしょ?」
「さすがに知ってたか」
「それくらいはね」二人で笑う。
「人間自身はこんなにちっぽけなのに、その内面はこの空よりも大きいんだって。それで、その内面が経験してきたこととか、出会った人とかが、ああやって輝く星みたいになっていく。経験や人との関わりが増えるほど、内面はもっと広がっていくんだと思う」
「嫌な経験や、嫌いな人も?」
「そう。それらも含めて、全部。明るい星もあれば、暗い星もある。でも、その中でも一際光り輝く星に出会えれば、それが生きていく道標になってくれる。それがあるだけで生きていける」
「一際光り輝く星かあ。菜緒にはあるの?」
「うん」菜緒は空を見上げたまま、言った。「まなやみんな。それと、そのみんなと一緒に過ごす時間。みんなが菜緒を導いてくれたから、菜緒はまだここにこうして生きていられてる。闇の底にいた菜緒を、みんなが救ってくれた。これからも、みんながいれば安心してついて行けるなって思ってる」
 とくんっ、と胸が跳ねた。菜緒がこんなに素直に気持ちを話してくれるとは思っておらず、その内容も、仲間想いなのは変わらないが、自分も生きようと思ってくれていることが伝わってきた。これも温泉効果か、やはり裸の付き合いには効果があったのか、という思いが頭に浮かぶ。
「だから、もう菜緒には闇黒剣は必要ない。未来なんて見なくても、導いてくれる人たちがいるから」
 なんだか照れ臭くて、「そうだよ、もっとお姉さんに甘えてついてきていいんだよー」とおどけて自分の右肩を叩く。首を傾げる菜緒に、「ほら、おいで。もっと甘えてよ」と迫ってみる。からかうつもりだったが、本当に菜緒が頭を乗せてきたのは予想外だった。甘えん坊モードの菜緒の破壊力たるや、愛萌の心拍は比喩じゃなく普段の倍以上の速さで、その鼓動を菜緒に聞こえないようにするのに必死だった。
 視線だけをどうにか動かすと、いつの間にか露天風呂には誰もいなくなっていた。はっと時計を見ると、夕食までかなりギリギリの時間だった。
「やばい!菜緒!夕食!」
 慌てて二人で上がり、脱衣場へ戻ろうとする。こんな時でも、月明かりがうっすらと照らす菜緒の背中が目に入り、よくは見えないが美しい、と感じる。
「あ、タオル忘れた」室内に戻るところで、タオルを持っていないことに気づく。露天風呂の岩の上に置いてそのまま忘れたのだろう。
「すぐ取ってくるから、先行ってていいよ」そう言って露天風呂に戻る。
 予想通り岩の上のタオルはすぐに見つかった。菜緒の後を追い、室内へ戻る。
 愛萌の足音に気づいた菜緒が振り返った。
 その瞬間、愛萌は思わず足を止めた。
 明るい室内で、後ろ姿で上半身だけこちらに振り向いた菜緒の身体がくっきりと見えた。陶器のように滑らかで真っ白な背中は腰の上できゅっとくびれ、再びふくらんだ腰の曲線は官能的で、丸みを帯びた尻はふっくらと柔らかな肉感を備えつつ綺麗な形を維持しており、その柔らかさはすぐ下の太ももも同様であった。髪をかきあげるために華奢な肩から上に伸びた腕はすらりと細く、つるりとした腋の奥にはやや控えめな、しかし綺麗な乳房がちらりと覗く。そしてなにより、長時間の入浴でほんのりと赤らんだ菜緒の整った顔の色気は、これに勝るもの無しと思われた。全身に真善美をうち揃えた菜緒の裸体に愛萌の興奮は限界を迎えた。
 全速力で脱衣場へ駆け込むと、ロッカーを開けてティッシュを探り出し、鼻に当てた。真っ白なティッシュが、即座に赤く染まっていく。

  ◇ 彩花

 「わ、愛萌どうしたの、鼻血?大丈夫?」
「ええ、まあ、あのちょっとだけのぼせちゃって」時間ギリギリに食堂に駆け込んできた愛萌は取り繕ったような笑顔を返してくる。
「菜緒ちゃんも顔赤いよ?のぼせたの?」
「え?あ、まあそんなとこです」
「なーんか怪しいなあ。二人でなにやってたの?」史帆が目を細めてじろじろと二人を交互に見る。
「な、何にもないですって!一緒にお風呂入ってただけで。ねえ菜緒?のぼせちゃっただけだよね?」
「何をそんなに慌てとんの」菜緒が呆れたように愛萌を見る。
「こしゃ、気をつけた方がいいよ。愛萌は結構大胆だし、過激なことするから」
「えっ、とし姉さんがそれ言いますか!?私見てましたよ、陽菜が着替えてるとこじろじろ見てたの。さらにその後、露天風呂でも何やら密着してたじゃないですか!」
「え、見られてたの?」
「そりゃそうですよ!それにあやちゃん!」
「えっ何、私?」
「あやちゃんもチラチラ見てましたよね!陽菜の着替えてるとこ!知ってるんですよ!」
「なに?陽菜の話してた?」名前だけ耳に入ったのか、陽菜がこっちを振り向いた。おかげで彩花への追及は止み、ほっとする。
「陽菜!お風呂入ってるときとし姉さんに変なことされなかった!?」
「え?いや、話聞いてくれてただけだよ?」
「ほらー!」怯えるように陽菜の言葉を待っていた史帆が急に強気に戻る。「話聞いてあげてたんだって」
「いやいやいや!陽菜はピュアだから気づいてないんですよ!陽菜、騙されちゃだめ!」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ!私の大事な河田さんに変なこと吹き込まないで!」
 言い争いをしている奥で、陽菜は既に二人の話など聞いておらず、呑気にご飯を頬張っていた。
 先程見た光景が頭をよぎり、ついつい視線が陽菜の胸元に行ってしまう。浴衣に包まれたそのふくらみは、明らかにここにいる誰よりも大きい。
 いつからあんなに大きくなったのだろう、と視線を向けたまま考えながら、箸でつまんだ肉を口元に持ってくる。
 意識が逸れていたせいか、口に入れる直前にするりと肉が箸から滑り落ちた。そのまま一直線に落ち、浴衣の太ももの辺りに油が染みを作った。
「わあ!ねえどうしよう、浴衣汚しちゃったー……」
「え、またやったの?」史帆が振り向いて、浴衣に目をやった。「おたけって毎食なんかしらこぼしてる気がするけど」
「そんなこと!……あるかも」認めざるを得ないほどには、こぼしている自覚があった。
「ねえ久美ー、どうしよー……」
「拭いて取れなかったらしょうがないよ。諦めよ」
「そんなあ……」久美に相談すればどうにかなるかと思ったが、さすがに無理らしい。沈んだ気分で、別のおかずに手をつける。
「あ、めーめ塩取って」右隣の芽依に頼む。
 受け取って振りかけようとするが、なかなか出てこない。
「ん?どうなってんのこれ?」がちゃがちゃと動かしていると、急に勢いよく蓋が外れた。
「わ!」
 気づけば大量の塩がおかずに降りかかり、皿の上は盛り塩さながらの見た目になっていた。
 隣の芽依が手を叩いて爆笑し始める。それに気づいたメンバーたちがこちらを見て、一斉に笑い始めた。クールな印象の菜緒ですら口元を抑えて笑っていた。
「もう!みんな笑わないでよ!はあ……」ついてないな、と思いながら蓋を戻す。

  ◇ 菜緒

 部屋に戻った菜緒は、既に隣のベッドで眠っている愛萌の寝顔を覗き込んだ。浴衣がはだけて、妙な色気が漂っている。
 食事の後で卓球大会が催された。菜緒の一回戦の相手は美玖で、ここでは勝利を収めた。思い返すと、美玖と何かしらの直接勝負して負けた記憶がない。相性がいいのだろうか。
 しかし、菜緒は結局二回戦で美穂にあっさりと敗れてしまった。全くもって勝てる気がしない、完敗だった。
 ちなみに、愛萌は菜緒と美玖の試合の後で「頭がくらくらする」と一人部屋に戻った。鼻血のせいで貧血気味なのかもしれない。
 全体的には、いかにも素人の温泉卓球といったレベルのもので、特筆すべきことはさほどなかった。
 結果としては史帆が優勝した。決勝は史帆と芽依の勝負だった。実家に卓球台があったという芽依は優勝最有力候補で、実際神業としか思えぬようなスーパーショットを何度か繰り出したが、反面「あらっ」となるような凡ミスが多く、結果的に地道に得点を重ねた史帆が勝った。
 それを終えると、自由時間となった。明日はご来光を見に行こうとなっていたが、冬なので日の出は案外早くなく、無理のないスケジュールではあった。
 なんとなく眠る気になれない菜緒は、ふらっと部屋を出て彷徨い始める。すると隣の部屋から「こら!早く!」と声が聞こえてきた。耳を澄ますと、「先生」という人と一人の女子生徒が二人で言い合い、というより先生が生徒に怒っているようだった。生徒の方は全く聞いていないような、のんびりした反応を繰り返している。
「先生はあなたが食べ終わるまでここにいます!」
「大根いります?」
「くっさ!やめなさいよ!」
 その声はどこか浮ついていて、不気味さを感じた。隣はメンバーの部屋なのは覚えていたが、さて誰だったか。怪談話でも聴いているのだろうか。
 恐る恐るドアを開けると、向かい合って座った陽菜とひよりが見えた。ぼんやりとした様子で発する声は、先程の先生と女子生徒のそれと同一だった。
「なにやってんの……?」
「えっ?あ、菜緒!」二人が驚いた様子でこちらを向いた。陽菜に至っては何故か正座している。
「また寸劇?」そこで気づいたが、何故か陽菜は下半身には下着しか着けていなかった。そんな格好であんな怪しげな寸劇をしているとは、なんとシュールな光景なのか。
「うわっ!」突然、その向かいの部屋で声がした。美玖の声だ、と気づき、そちらへ向かう。
「美玖?どした?」
「ミイラ女が……」
「は?ミイラ女?」何だそれは、と思いながらも部屋に入ってみると、こちらに背を向けて座っている明里が見えた。
「丹生ちゃん?」声を掛けると、明里が振り向いた。
 その顔は白い何かに覆われており、さらにその上から透明な何かが被せられていた。
「わっ……何それ」
「ん?フェイスマスクとシャワーキャップだよ」平然と明里が答える。
「なんでそうなるわけ?」後ろから美玖が問う。
「フェイスマスクだけじゃ、水分が顔に入らないで逃げちゃうじゃん?でもシャワーキャップを着ければ完璧蒸れる状態になるの!すごくない?」
 どうやら本人的には画期的アイデアらしく、その発明に水を差すのも申し訳ないため「斬新だね」とだけ言って部屋を後にした。
 結局、そのまま一階に降りてきた。自動販売機の前に立ち、飲み物を探す。
「ああ、いちごミルクいいな、おいしそう。あ、でもお昼いちご狩りでいっぱい食べたもんなー。無難にお茶とか?いや、せっかくだから何か違うの飲みたいんだよなー。あ、コーヒー牛乳発見!これにしよう!」
「美穂、心の声読むのやめてや」
 自販機の陰から美穂が顔を出す。「ばれた?」
「バレバレだわ。しかも、ちょいちょい外れてるし」
「え?うそ、結構当たってる自信あったのに」美穂がこちらに来て自販機を眺める。
 美穂の読みが当たっていたのか、それとも言われたからその気になったのか、結局菜緒はコーヒー牛乳を飲むことにした。小銭を入れ、二回ボタンを押す。
「はい、美穂」一本を美穂に渡した。
「え?くれるの?」
「飲みたいんでしょ?」
「ばれた?」
「バレバレだわ」
 二人でマッサージチェアに腰掛ける。肩をほぐすだけなのかと思っていたら、脚にまでマッサージ機能があるらしく、スイッチを押すと背中とふくらはぎに圧力が加わった。
「なんでマッサージチェア?」
「最近肩凝りひどくてさ。年かな?」
「あんな重いもんいつも背負ってたら当たり前でしょ」見てるだけでこっちまで肩凝りそうだって。
「菜緒の方こそ、この前までとんでもなく重いものを一人で背負ってたくせに」美穂の言い方はこちらを責めるものではなく、遠い昔を懐かしむようだった。
「美穂」
「あ、そういう意味じゃなくて」
「わかってるって。ただ、ありがとうって。それだけ言いたくて」
 美穂がこちらを向いたのがわかる。
「は?なんで?」
「美穂のおかげで目が覚めた。美穂が本気で戦って、菜緒の目を覚ましてくれた。おかげでこうして戻って来れて、みんなと過ごせる。みんなと戦える。美穂のおかげだなって」
「やめてよ、照れるじゃん」美穂は冗談っぽく笑う。「それに、私は私がやりたいことをやっただけだよ。私が菜緒と一緒に戦いたかったから、菜緒が戻って来てくれるように動いた。感謝されるようなことじゃないって」
「ううん。どちらにせよ、菜緒が救われた事実に変わりはない。ほんとにありがとう」
「菜緒って意外と頑固だよね」また美穂が笑う。
「言われたくないわ。連れ戻すために力ずくでぶった斬ってきたくせに」菜緒も笑いながら言い返した。
「私はいいんだって、意外じゃないから」
「なにそれ」
 マッサージチェアが動きを変え、音が大きくなった。その音と振動に混ぜるように、美穂が「でも、私好きだよ。菜緒のそういうところ」と言った。
「え?」
「大人しく見えて、結構頑固なとこ。それに、この世界で生き残るにはそれなりに頑固じゃなきゃやっていけないからね」
 マッサージチェアはそこで動きを止め、美穂はすっと立ち上がった。
「はあ、気持ち良かった。菜緒とちゃんと話せてよかったよ。ありがと」そう言って美穂は歩いて行ってしまう。
「待って」無意識に呼び止めていた。
 美穂は振り返って首を傾げたが、何を言ったものか浮かばず、出てきたのは「おやすみ。また明日」というごく普通の挨拶だけだった。
 美穂はふふっと笑って、「おやすみ」とだけ返してくれた。また背を向けて、立ち去っていく。
 その遠ざかっていく背中を、菜緒はじっと眺めているだけだった。せっかく仲間に戻れたのに、そこに連れ戻してくれた大切な仲間が、遠くに行ってしまうような気がした。

  ◇ 史帆

 卓球大会を終えた後、同期の五人は久美の部屋に集まっていた。
「久美の部屋だし、組体操しよっか」
 そんなことを誰かが言い出したおかげで、今史帆は一番下で仲間たちの体重を背中に受けていた。
「ちょっと、ストップストップ!降りてー!」大声を出すと、すっと背中が軽くなる。
「膝めり込んでくるんだけど。場所かえてくんない?」
「でも、今上にいる二人が一番軽いと思うけど」
「あ、そうじゃなくて、膝を置く位置」
「あ、そっち?」
 位置を確認し、再び一列目の三人が四つん這いの体勢になる。
「あ、せっかくならなんか叫ぼうか」久美が言い出した。「何にする?」
「うーん。攻める!」思い付きを言ってみる。
「攻める?」
「なんか敵も強くなってきてるし、こっからは自分たちも攻めの姿勢でいかないと、と思って」
「いいね、攻める」彩花が嬉しそうに言った。
「よし、じゃあピラミッドが完成したらみんなで、せーので『攻める!』って叫ぼう」久美が宣言した。
 改めて姿勢を整え、まずは優佳が乗った。右側に負荷がかかるが、膝の位置は悪くない。
 次に芽依が左側に乗った。小柄な分、負荷はかなり少なく、膝の位置もちょうどよかった。
「乗った?じゃあいくよ」久美が右隣で声を掛ける。「せーの!」
「攻める!」声を揃えて叫んだが、何だか可笑しくて皆揃って笑い出す。
「わっ!」
 笑って力が緩んだのか、左隣にいた彩花が崩れた。必然的に、上にいた芽依もそこに覆い被さるように倒れる。
「あ、ごめんあや、大丈夫?」
「いったあ……これ上が芽依じゃなきゃ骨折れてたよ」そう言って顔を顰める。「さっきからまじでついてない」
「よし!じゃあそんな時はストレス発散!枕投げしよっか」久美が明るく言い出す。「旅館の枕を乱雑に扱うわけにはいくまいと、それ用の枕用意してきたんだ」
「なんでそんなに枕持ってるわけ?」優佳が笑う。「枕投げ用に用意するとか聞いた事ないんだけど」
 彩花のストレス発散のためというより、ただ久美が枕投げをしたいだけにも思える。
 そんなこんなで、枕投げが始まった。彩花も既に笑顔で参加していたから、安心して枕投げに熱中した。
 それが良くなかった。
 枕投げはもはや史帆の独壇場と言っても過言ではなく、どんどん熱が入っていった。そして力が入り過ぎた一投は狙いを外れ、枕を拾い上げてこちらを振り向いたばかりの彩花の顔面にクリティカルヒットした。
「ヴェっ」と声を上げ、彩花が倒れ込む。
「え?あや!」芽依が真っ先に駆け寄り、久美も隣に来る。
「ごめん、まじでごめん……」史帆も慌てて座り込んで謝る。
「軽く気を失ってるだけだね。少しすれば目も覚める。大丈夫だよ」様子を見た久美が言う。
「今日のあや、なんかかわいそうやな」彩花の頭を撫でながら、芽依がぼそっと呟いた。

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