2019 10−3

不自由という枠組みの中で表現は逆に磨かれるのではないか。映画評論家の蓮実重彦がゴダールにインタヴューした際一番気を引いた質問は、作品の上映時間の質問であった。また短歌俳句も形式が決まっているからこそ逆に言葉の強度は高まるものだと思う。生きるということも表現の一つのはずだが、自由というのは重荷なものだ。

youtube の動画で高橋名人の連射を久しぶりに見た。子供の時は皆あの指使いに憧れ真似をした。今思えば、その光景を見て親達は何を考えていたのだろう。

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