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占いをお願いした

適応障害で休職からの再起に先立って、今回の挫折から教訓を取り出して、自分の習慣を変革しようと試み中、な日々。

その傍らで、占いもいくつかお願いしてみてる。

今日はそんなお話を。

苦しい時の神頼み、とはちと違う

占いとの付き合い方(一切、付き合わないというスタンスも含め)は、千差万別、十人十色、人それぞれで良いと思ってる。

占いとの付き合い方は、読書との付き合い方なんかとも似てる。その時、その人の、状況・心境・気分に合わせて、付き合ったり付き合わなかったり、どんな付き合い方で臨むか決めたら良いと思う。

その上で、占いというと、おみくじとか、神頼み的なニュアンスで捉える方も少なくないようだ。

私の占いに対するスタンスは、それとはちょっと違う。色々自分なりに今後のことを模索検討していく中で、しかし「これで行く!」の決断に至らぬ時の「あとひと押し」にさせて頂いている。

歳をとるほどに踏ん切りつかない?

歳を取るほど、あれこれと多方面の情報を入れて悩む。歳を取るほど、自分で経験した実績も積もる。歳を取るほど、失うのを怖がる「それまでに積み上げたもの」が増える。

私の未熟な半生からは、上記のように感じる。無垢になれないというか。

あっちの角度から決めようと思うと、そっちの角度から疑義が浮かぶ。そっちも考慮して決めようと思うと、こっちの角度から物言いが付く。

だから、どこかではもう、これ以上に色々のインプットを入れるのを止め、何がしかの角度の見え方は捨てて、「誰が何と言おうと、一旦はコレで行く」と決断しなくては。決めきれなくしているアレヤコレやの念を断たねば、決まらない。

占いは、何かを断って肚決める「最後のひと押し」

そういうわけで、私が「そうだ、占いをお願いしよう」と思うタイミングは、決断の直前だ。迷いや未練やらが、「オリャっ」と飛び込むのに尻込みさせてるな、と思う時。

「自信持って、行っといで!宇宙もそれだよ、と後押ししてるよ」
と、踏ん切るきっかけと追い風を提供してくれる。

今まで、占い師の方が、私の心境や状況に合わないような、素っ頓狂なメッセージをくれたことは、一度も無い。たまたまなのか、占い師の方の素養ってのは、そういうものなのか。

今回の占いの結果

で、今回お願いしたところで頂いたメッセージも、肚決めるのに嬉しい、力強く背中を押してくれるものだった。

本当に不思議なものだが(占い師の方に言わせたら不思議では無く必然なのかも)、私が課題にしていて、ここを心掛けるべきかなと思ってるポイントに刺さっていた。

考えようによっては、捉え方は色々できる言葉を貰っていて、私はそれを、自分で強く意識してるある角度から見て刺さってるだけなのかもしれない。

だが、そんなことはどうでも良い。少なくとも、私の前途に力を与えようという想いが、強く伝わる言葉。その上で、「ここに意識して進みなさい」というポイントが、聞いて私の課題意識に刺さってるのだから。大事にして、私の推進力にさせてもらうのが筋だろう。

今の気持ちを忘れぬように

結局、再起後の心得をnoteに書いてみたり、占いをお願いしたり、私がいまやってるのは、あと僅かになった再起後に向けた準備。

いま、時間を貰って、心の余裕を作れている中で、今後こうしたい、こうしようと思ってること。それを、いざ多忙な日々の中になると、また忘れて元に戻るのが心配で。

新しい習慣を忘れずにやり続けるため、意識しなくても当然になるよう体得するまで、留意せよと自分に提示したいから。元に戻ってこないよう、踏ん切りつけて、新しい世界に飛び込んで行って欲しいから。生まれかわり祈念のようなものだ。

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