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日記:Day15 大阪・豊能→岐阜・大野町

安芸からの帰還旅は2日目。

大阪・豊能の宿「里山ベース ハナビ」を朝8時に出て、京都・滋賀を経て岐阜へ。

1日を振り返る。


京都府亀岡市・稗田野神社に参詣

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ハナビは、大阪府豊能町の中でも、兵庫県川西市や大阪府能勢町、京都府亀岡市に近接していた。

国道477号線を朝の景色を眺めながら走るのは、快適だった。

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京都の寺巡りに向けて走る途上、亀岡市稗田野町佐伯で、大石酒造の酒蔵に差し掛かって思わず停車。すぐ横にある稗田野神社に参詣して、本日の安全を祈願した。

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京都の寺巡り画策も、断念

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稗田野神社を出て、国道9号を東進。京都市内に入ると、車や二輪の数が増えて、若干の都会感が出てきた。

桂川を渡ると、河川敷に見慣れぬ光景が。防波堤を転落した車だった。一体、何が起きたのだろうか。運転者のご無事をお祈りしたい。

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鴨川沿いに出ると、川向かいに料亭らしき歴史とモダンの混ざり合った建物が軒を連ねていた。

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水あるところに風流あり。昔の色街は、大概は水べりにあった。そして寺社もその近くにあったように思う。

南禅寺を目指したのに、隣の禅林寺(永観堂)に着く。拝観料を取られると分かって、「それは寄附や布施で賄って、誰でも入れるように門戸は開けるという仏教のポリシーに反するだろ」と興醒め。寺巡りは中止して安土城址を目指すことに。

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我ながら面倒くさい奴だ。


安土のヨシ原と安土城址

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京都の寺に早々に関心を失って、国道1号線で琵琶湖へ。近江大橋を渡って琵琶湖の対岸へ。そこから北上して草津市・守山市を経て近江八幡市へ。

安土城址を目指していたところ、「ヨシ灯り祭」なるのぼりを見て気になり、「西の湖」に出た。すると、ヨシで出来た造形に灯りをともす祭りの準備がなされていた。西の湖は、今では珍しいヨシ原の現存する地なのである。

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もともと、蓑笠造りに関心がある私は、オッ!と興奮して、準備しているおっちゃんと話した。が、ヨシは簾や屋根になるが蓑笠にはならぬと。くぅ〜、惜しい!

※蓑笠は、カサスゲが適しているようです。

そこから間近な安土城址に到着。テレビ番組で、お城博士ちゃんが石原良純氏と意気投合したのを見て、訪れようと思ったのだ。ご存知、織田信長の建てた天下統一の象徴的な城である。

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石段をあがるとすぐ、両脇には羽柴秀吉邸跡と前田利家邸跡が。ビッグネーム2人が、外門の両脇を固めていたのだ。

安土城は、築城後数年で本能寺の変があって明智から秀吉へと城主も変わり、明智が討ち取られる過程で天守など焼け落ちてしまったそうだ。今でも、石垣だけが名残を残している。

天守跡に上り詰めると、少し離れた琵琶湖を望みつつ、一面の田畑が目に入った。今見ても、権勢の強さが感じられるだろうと思える光景。

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信長と安土城の歩みに想いを馳せつつ、なかなか良い運動にもなった。


長浜城址を経てユニクロへ

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琵琶湖の東岸を北に向かって、彦根市・米原市を経て長浜市へ。途中、琵琶湖の様子がキレイで、この穏やかな湖畔でテレワークも悪くない、と感じた。

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そこそこ風があるのでウインドサーフィンする姿も見られるし、SUPやボートサーフィンも。いわゆる「マリン」なアクティビティするにも良いところだ。

羽柴秀吉が築城した長浜城跡をチラ見の後は、明日の山越えを想定して、UNIQLOでフリースを確保した。寒いのは気持ちが萎える。身体を温めれば心も温まる。


関ヶ原で遺構と古戦場跡に興奮

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ユニクロを出た後、関ヶ原古戦場に向け、アップダウン激しい山道を走る。途中、伊吹山の麓で大掛かりな産業遺構を発見!調べると、住友大阪セメント伊吹工場跡地だった。

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この工場は、大阪セメントが1952年に建造、2003年に操業停止したそうだ。壊し掛けた施設なども残る、廃墟マニアには垂涎と思しき景色だった。

さらに東に進んで、関ヶ原古戦場エリアへ。西から来た私はまず、大谷吉継陣跡へ。

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丘をバックにした谷間の平地になっていて、陣取りとしては悪くない気がした。関ヶ原合戦を知れば知るほど、西軍の方が陣容は有利だったようにも見える。

続いて、石田三成陣跡・決戦地へ。ここも、あたりを一望できる高台を背にしていて見晴らしが良かった。あたりには蕎麦の花が咲き誇る。散歩してた地元のおばちゃんに聞いたら、かつては棚田だったものが、人手不足で水田できなくなって、蒔くのも刈るのも機械でできて放ったらかし3ヶ月で二期作できる蕎麦になったそう。

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そして、決戦地の横には、旧・関ヶ原北小学校の廃校を利用した「笹尾山交流館」があって、甲冑着用体験や地元産品販売が行われていた。

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関ヶ原合戦の資料を見ていると、雌雄を結したのは、両軍のモチベーションと結束の差だったのかな、と思う。石田三成・島左近・大谷吉継が気合い入ってたのかも知れないが、そのほかの西軍大将は付き合いで乗ってたのかも知れない。毛利や島津が外様として江戸幕府開府後も残るのは、おそらく分家を東軍に配備するなどのバランシングを通じた家康へのメッセージングだったんだろう。


揖斐エリア入りしホニャラノイエへ

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さらに東に進むと、岐阜を流れる大河の一つ、揖斐川に当たった。近くにイビデンの神戸事業所を見つけ、岐阜やなー!と興奮。

揖斐川沿いで日没を迎えて、後わずかの道のりを急ぐ。

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揖斐郡大野町に入ると、三水川(みみずがわ)沿いの古民家宿「ホニャラノイエ」に到着した。庭を持つ立派な旧家を利用していて、少し懐かしい気分を味わえる。またオーナーの加藤夫妻のユルイチャで、なんだか友達のカップルの家に遊びにした感覚になった。

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さあ、残り後わずか。気合い入れて生還します!





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