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何とかする。そして、何とかなる。

これは、東京時代の前職の頃から痛感していたことだが、最近もつくづく思う。

「今はどうしたら好転するか見えてないが、必ずこの日までに何とかする。きっと、何とかなるさ!」という気構えの有無が、人間の行動のパフォーマンスや、その人がまとう凝集力、つまりリダーシップの強弱に直結してるのでは無いか、ということを。

こう文字にすると普通のことなのだが、日頃の気構えや行いに落とし込んで出来てる人は、そう多く無い。ちょっと考察してみよう。

ポジディブ主義とはちと違う

何とかする、何とかなるという世界観を、ポジディブ主義と捉える人が多いのだが、私はちょっと違う気がしている。

…というのも、私の認識では、ポジディブ主義は大変ネガティブではた迷惑なものが少なく無いので、一緒にされると困るからだ。

ひと時もネガティブな心境を許さないポジティブ教は、私から言わせると滑稽で独りよがりに見える。ネガティブに対する恐怖心が裏に隠れているので、大変強迫的なオーラが出ていて、それが皮肉にも激烈なネガティブオーラになっている。「ちょっと、肩の力抜いて、冷静になりな」と言いたくなるような人工的躁状態な人も散見されて、私はあまり付き合いたく無い種族だ。

困難で解が見えない状況でも「何とかする、何とかなる」と考えてる状態は、それと何が違うのか。ずばり、これはもう宗教的信仰?信条?の世界だ。

…それでは答えになってないので、もう少し掘り下げると、私は「何とか」をどこに置いてるか、が違うと思っている。

幸福で居られる許容レンジの広狭さ

リーダーシップの強い人は、「何とかする、何とかなる」の「何とか」の置き所が余裕あるのではないか。

たとえば、自分の組織の年次目標が「売上1億円」だとする。この時、「何とかする、何とかなる」を「1億円売り上げる、1億円売上上がる」と置くのは、私はリーダーでは無い、と考えているのだ。

もちろん、求められる使命に執着するのは悪いことでは無いし、当然の動きなのだが、それはそれとして日々行動する際の心の置き所が売上1億円になっていては、ろくなことがない。何しろ、目標金額達成の日まで未達が続く訳で、その未達期間に自分や部下や協力者らを前向きに力出る心身状態になってもらうことが難しくなる。不安と恐怖と焦りが、特に全体感が見えづらく経験不足な若輩者につきまとってしまうからだ。

そこで、「オレや部下や協力者がこんな具合にベストが尽くせれば、自ずと金額はついてくるはずだ」と自分が心底信じられるものを立て、特に部下や協力者には目先の仕事で何を心掛けてどんな工夫を求めるか明確にする一方で、目標金額は前に立てずに控えめに置いておく。すると、日々「コレで良いのだ」と安心して目先の仕事に没頭でき、結局は組織パフォーマンスが不安・恐怖・焦りドライブで動かすよりも高くなるからだ。

こういうリーダーは、売上が1億円に到達するまでの未達期間も、心ざわつかせることなく余裕を持って、日々なすべきことをしっかりベストにできてるかに傾注できる。時々、このまま歩みを進めてて目標に向かうのかを見直して日々の心掛けや工夫ポイントを修正してやれば良い。

上の立場の者が落ち着いて余裕があるかどうかは、組織全体のパフォーマンスを左右する。上のものが怯えて焦ってイラついてる組織は、ろくなパフォーマンスが出ないばかりか、訳の分からないことをしてダメージを生み出したりする(個人に喩えれば、キョドってる状態)。逆に、上のものが逆境でも「大丈夫、心配しなくても何とかなる、目の前のことをベストでやり切ろう!」とドンと構えてる組織は強い。

リーダーは、外界の状況が悪かろうが、(少なくとも組織の人間が見て見える外観としては)幸福そうにしてられないと、ダメなのだ。すなわち、リーダーの人格・器が試されるという訳。

仮に目標未達でも、心を折らない強さ

これも一歩間違うと居直り上手と勘違いしてしまうのだが、それとは違う、未達にも上を向き前を見据える強さが必要だ、とも言える。

9,999万円だから不幸でイライラして、10,000万円(1億円)だとはしゃいでる、という人物はリーダーたりえない。未達でも未達なりに、来季につながる爪研ぎや爪痕を残したのか。怠慢の未達なのか、ベストパフォーマンス下の未達なのか。そういった要素を加味して「未達だが、恥じ入る事はない、胸を張って明日からも行くぞ」と部下に言ってやれるか。

無論、未達を何期も連発しているなら、それはリーダーにミスマッチなのだが、単期の未達は状況によって誰にでも起こり得る。未達になった時の自己評価ぶり・態度・言動が、その者の器を映すと思う。

リーダーは、状況が最悪であっても、逃げることなく配下の者が意気揚々と力を発揮できるムードを作らなければならない。それが究極的には唯一の仕事だ、と言っても過言では無いと思う。コロナ禍だろうが、取引先が倒産しようが、目標未達だろうが、絶対に下を向かずに、来たる明日の朝日を顔を上げて拝める者こそが、リーダーであるべきだ。

きっと、現代日本の教育において最も欠落しているのが、そういった態度や言動を導く人格形成なんじゃないか、と思っている。

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