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雑感:都市というのは、人もモノも合目的的であらねばならない空間

前回の、都市の主客分離問題を更に考えている。

都市のもう一つの特徴として、極めて匿名的であるという点が挙げられる。

その辺を深掘ってみたい。

匿名的存在が「市民」=都市構成員

私は一昨日、通勤時間帯の新宿にいた。田舎の小さなまちの全住民の数よりも多いであろう、雑踏の中を歩く。100人、200人では効かぬ多くの人と行き交う。しかし、「おはよう!」という言葉を交わす人は、自宅の近所を出てから日雇いバイトの職場に着くまで、一度たりとも無かった。

お互いにお互いを知らない、「ただの人」の群れとすれ違う。それが、都市空間だ。「俺はニャムだ、よろしく!」なんて自己主張は危険人物扱い一直線。俺以外の市民の皆さんにとって、新宿ですれ違う俺なんぞは「ただの人」のone of them。ただの人らしく、物言わず目を合わさず、黙ってすれ違うに限る。

そんな匿名性・無名性の味気なさや無機質さに嫌気がさして、各種コミュニティ作りが脚光浴びるが、都市においてなかなかモデルとなるような「正解」は打ち立てられていないと見える。都市が持つ本質的な無機質さ・匿名性・専門分化志向と、コミュニティの要件が相反しているからじゃないか。

都市に住まう「市民」は、家庭や近所や、所属する合目的的集団(学校、職場、趣味サークルなどなど)の中で、名を名乗り顔を見せる非匿名な関係を作っている。そしてその他の場における非匿名性を、時には有り難く、時には仕方なく、受け入れている。

考えてみれば、都市が発達する過程では、昔ながらの村落共同体が持つしがらみ・縁故・代々の経緯といったものからくるある種の息苦しさを嫌う人たちが、都市に希望を見ていたように思う。オープンで、過去に囚われずに存在できる空間。地縁血縁の面倒さから解放されて、今の自分の有り様を自分単独で作っていける解放性と自由。過干渉から解放されて、邪魔な束縛から自由な空間。都市はその昔、希望と魅力のまなざしで見られていたと思う。

世代が一周して、希望と魅力が減退

団塊の若かりし時代、例えば東京で言えば、三多摩地区とか千葉埼玉、横浜山間部など、未開拓の山野を切り拓いてニュータウンができた。名は体を表す。まさに、それまで街などなかった森に、新しく人が住まう街を新設し、そこに田舎から上京してきた人たちがしがらみ無き自由な住空間を求めて嬉々として住んだ。

あれから60年近い時を経て、ニュータウンは「オールドタウン」になった。そこには70代になった、田舎からしがらみ無き希望の街に移ってきた老人(当時の若者)たちが居る。これから「ニュータウン」に移り住んでも、もはやゼロからニューな空間を作っていく余地が無い、と言うと言い過ぎだろうか。むしろ、自分たちの理想の町を作ろうとして移ってきたかつての若者たちが遺した「古い理想」がこびりついてしまった、夢も希望も褪せた町と化している、というと言い過ぎだろうか。

すなわち、都市(近郊の新興住宅街)が持っていたポジティブさである、地縁血縁フリーで既得権者が居らず「オープン&ニュー」という特性が、地縁血縁フリー以外無くなってしまった、ということだ。

しかし、「現代版ニュータウン」はまだまだ開発されている。今は山林を開くよりも、工場や操車場といった非住居な近郊の広大な跡地を、人の住まう街に再開発するのがトレンドだ。工場の海外移転や、モータリゼーションによる貨物輸送の需要減など相まって、その流れが出来てきた。

しかし、いずれもそれも限界が来るだろう。近郊の土地という土地がほぼ全てが住宅地化してしまえば、再開発の舞台がなくなるから。

人のライフステージと、まちのライブステージ

そう考えてみると、高度経済成長期の団地ブームも、東京湾岸エリアに代表される大規模マンションブームも、構図は結構似てるかもしれない。

ちょうど家庭を持つ・持って間もないくらいの、親元から分離して自分の家庭を建ちあげるライフステージの人が、新しいおニューな街と建物でスタートを切ろうとする感じ。その点で、昔の多摩ニュータウンの構図は、今なら豊洲とか千住で見られることなのかもしれない。

しかし、今後、再開発余地が無くなってきたとき、自分のライフステージに合う、新しい街を求めるというのは、難しくなるのかもしれない。

東京移民二世の悲哀

これはよく言われていることかと思うが、団塊世代は、「田舎生まれ田舎育ち・東京在住」が多かった。世代が1~2回転して、今は「東京生まれ東京育ち・東京在住」がマジョリティになっている。かく言う私もその一味。香川県生まれ香川県育ちの両親が東京で産んだ、「香川系東京人二世」である。

二世には二世の悲哀がある気がする。自分のイナカ(地縁共同体)が無い・弱い。東京移民系の核家族育ちなので、血縁共同体も無い・弱い。あるのは、合目的的集団での縁だけ。親世代があれだけ嫌っていた地縁血縁が、今は「無い、無い」と渇望対象になって、その埋め合わせとしてコミュニティやバーチャルな繋がりに注目が集まっている気がする。

だが、前述したように、都市におけるコミュニティのモデルが未確立だし、一部で言われるほどにオンラインコミュニティがその代替を果たすようにも今のところ感じられない。それは、この問題の本質的な矛盾?相克?に起因しているように思う。東京移民の慣れた行動プロトコルと、コミュニティの期待する参加者の在り方の要件のミスマッチ。

バーチャルコミュニティは超越するか?

ここまで来ると、社会学の古典的な、ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト的な話になってきて、そろそろ飽き始めたが、自分で乗り出した船だから頑張る(笑)。

さて、地縁・血縁の紐帯の代替を、各種コミュニティが果たし得るか考えてみよう。先に結論を言うと、私は無理だと思っている。

血縁の最大の特徴は、切ったり結んだりするのが一存では難しい点。もちろん、婚姻や養子縁組みなど手続きを経るなどして、人為的な付け替えも可能ではあるが、そう気楽に易々とやれるものでもない。ある程度生まれながらに決まってしまうものであり、本人たちの意思とか能力とかで容易く切ったり結んだりなかなか出来ず、粘着性が高い。

地縁も、血縁ほどではないが粘着性が高い。そもそも、住む場所をそう簡単にコロコロ変えられない。仮にコロコロ変えて「地縁を切る・作らない」は出来ても、簡単に地縁を作ることはできない。ひと所である程度の時間を過ごした結果、結ばれていくものである。地縁も、本人たちの意思とか能力への依存度が非常に低い。

地縁・血縁は、見方によれば面倒くさいしがらみだし、別の見方をすればなかなか切れない太い紐帯だとも言える。

対して、合目的的な縁というのは、本人たちの意思にかかる度合いが高い。その気になれば比較的容易に縁を切れるし、かなりのショートタームで縁が形成される。その紐帯を強めるには、やはり相応の時間が必要ではあるが、血縁や地縁の比では無い。

それに、合目的的な縁は、あまり長続きしたものが無いのではないか。そもそも、合目的的な集団は、所属したり卒業したりが、比較的短いタームで起こる。集団の出入りも各人の自由意志次第であり、「オレ、明日から抜けます」で切れてしまう。

そんなわけで、バーチャルコミュニティも含めて、合目的的集団における縁というものは、結びやすく切れやすい、さらりとあっさり味の細い紐帯だと思うのだ。都市移民二世が渇望しているような地縁・血縁のような粘着質で太い紐帯とは根本的に違う。月会費を払わないと退会させられるし、ちょっと感情的になって「お痛」をするとBangされる。自分が縁を続けたくても、相手が「もうやめた」というと今日で終わってしまうし、逆に会費を払って「申し込みます」で結ばれたりする。

血縁は一代では難しいけど、地縁は頑張ればいける

ただ、東京移民二世も、諦める必要はないだろう。血縁はなかなか一代で完成とはいかないけれど、地縁の方はその気になれば数年かけて育てられるように思う。

どっちかと言うと閉鎖的な(参画するのが容易でない)地域に、数年スパンの覚悟で徐々に食い込んでいき、そのある種「面倒な」しがらみパーティーに入っていくことで得られるんじゃないか、と思う。

・・と書くだけは簡単だけど、腰を据えて根気と忍耐を要する、大変なことではあると思う。よそ者には見えない、その地の人々の「序列」とか勢力図とかもあるだろうし、警戒を解いて信頼を得るにはそれなりの時間やエピソードの蓄積も必要だろうし。オンラインサロンで、会費払って「よろしくー」というのとは訳が違うような気がする。

もちろん、オンラインサロンでも、つなぎっぱで1日の大半の時間をどっぷり浸かるようなところはあるかもしれない。それでも、「オンライン」という手段そのものが、リアルな関係性とは比にならないくらい、情報の開示/参照に関して恣意性が高い。意図したものだけUPして意図せざるものはUPしないという選別も利きやすい。そこに加えて、オンラインコミュニケーションのインターフェイス能力が未だ弱いので、「見せるための顔」だけ見せるコミュニケーションになりがちだと思う。

もちろん、だから悪いとかいう気もさらさらない。見せるための顔、演出された顔だけ見せあう関係性も、有効なこともある。ただ、地縁血縁のような太くて粘着質な紐帯の代わりにならないだろう、と言うだけの話だ。

大した目的もないのに、特に何を話す訳でも無く、ダラッと集まっても楽しい。何かやらかしてバチバチにぶつかっても、見捨てることもなく続く。そんな関係性というのは、なかなか合目的的集団やオンラインコミュニティでは結ばれにくいんじゃないだろうか。

SDGs12番が、ライフにも必要か

さて、ニュータウンは、ゼロからタウンを興して、それまでのしがらみに囚われない、オープンで新しい生活の場を志向した。60年経た今から見て、果たしてニュータウンはその目標を達成したのだろうか。

私は、残念ながら頓挫したように見ている。無機質・無縁な街になってしまった嫌いがあるように見ている。なんでだろうか。

それは、コンクリートで出来た、あの標準化極まれるハコに象徴される通り、ゼロから新しい街を作ると言いつつ、強固な枠があらかじめ設定されていて、住民が手を入れる余地がほとんどなかったからでは無いか、と思う。

これは必ずしも昔の団地に限らず、建売住宅でもそうだし、今の大半のタワマンにも言えるかもしれない。確かに新しい(新しかった)。しかし、使い始めてから住民のリノベによる発展余地が無いので、ただただ古びていくのみになった。住民の個性や思いを反映させることもできず、標準化されただ古いものが増えていく。

何故そう思うかというと、旧・東綾瀬団地の「いろどりの杜」が賑わいを取り戻し、グッドデザイン賞も受賞した事例を見て、対比的に考えたのだ。

いろどりの杜は、古い団地をリノベし放題の部屋として貸している。そして、住民のリノベ発想や技術を支援するため、コミュニティ作りや指導体制など支援を用意している。そのことで、各戸の住民の個性が反映された多彩な住空間が生まれ、若い活気も生まれているのだ。

新しいけど手出しのできない、カッチリした「作る側と住民が主客分離」の世界は、サスティナブルでは無いと明らかになってきたのでは無いか。その意味では、住空間においても、SDGs12番「つくる責任 つかう責任」の大切さが分かってきたのかもしれない。

・・・ということで、私は広島に移住するが、今回述べた地縁結びのチャレンジをしつつ、自分の想いや個性を反映させる空間を作っていく時なのかもしれないな、と思う。

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