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久しぶりに逆転裁判をプレイした

※ストーリー終了までのネタバレを多く含みます。

Switchで逆転裁判123 成歩堂セレクションと大逆転裁判12がまとまったセットが割引されていたので衝動的に購入してしまった。大逆転裁判は456のリメイクをプレイしてからやりたいので一旦ここまでの感想をまとめてみようと思う。


プレイ時間は3つ合わせて60時間ちょっと。
123をまとめてやると結構なボリュームだが、それぞれの話はわりとコンパクトなのであまりプレイ疲れを感じる事はない。

絵のはなし

逆転裁判シリーズにはじめて触れたのは、ゲームボーイアドバンスだった。
当時の絵はドットで表現されていたが、リメイクされイラスト調になっている。
これは確実にはじめて触れたころの衝撃が影響しているのだが、ドット絵の方が自分には馴染む感覚がある。初プレイ当時、ドット絵の細かいところを補完させてしまうようなアニメーション表現とストーリーの巧みさにゲームってこんなことができるのかと深く心に残っていた事を思い出す。

イラストの真宵ちゃんももちろんかわいい。
しかし、ドットで動く真宵ちゃんを初めてみた時の衝撃が強すぎるのだ

ただ、最近の逆転裁判における3Dモデルは違和感を感じずすっと受け入れている。これはそのナンバリングが最初から3Dモデルでプレイしているからなのか、3Dモデルの作りなのかはよく判断できていない。
だた、3Dモデルでみるナルホド君はドット絵の頃の感覚と同じように感じられているとも思うので、やはり3Dモデルの作りが巧みなのではないだろうか。またはドット絵の職人技術がイラストではなく3Dとして捉えさせていたという可能性もある。
いずれにせよドット絵のゲームはよい。これが自分のゲームの原風景にあることは間違いない。

「無罪」という文字が自分にはドット絵に見えている

話を逆転裁判に戻そう。

自分はゲームをプレイする時、ストーリーを楽しさの一番重要なポイントとして捉えていることが多い。
自分は小さなころ本の虫で、特に推理小説が好きだった。そんな幼少期からか、起承転結の「転」のふり幅が大きいほどそのストーリーにのめりこみやすいという特徴がある。
つまり「逆転」裁判は名前からしてハマる要素しかないゲームなのだ。(余談だがダンガンロンパシリーズが大好きなのも同様の理由である。どちらかのシリーズしか遊んだことがないのであれば、ぜひ両方プレイしてほしい)

逆転裁判1が持たらした功績

逆転裁判1は逆転裁判という舞台装置をプレイヤーになじませるタイトルである。
探偵パートで証拠品を集め、法廷パートで証人の矛盾を暴き、集めた証拠品をつきつける快感感じさせるシンプルな体験を提供するシリーズの根幹を作ったタイトルだ。これが楽しいと感じるユーザーがいなければその後のシリーズはないわけである。

最後の「意義あり!」を見るのが定番の快感ではあるが、
同時にゲームが終わる寂しさを同時に運んでくる

最初のタイトルということもあり、今あらためてプレイしなおすとシステムに変化が乏しく単調に感じる部分もある。しかし令和の現在にプレイしても快感を感じるこのシンプルな体験を生み出した事は偉大だ。

また、飽きさせないそのストーリーも大きな魅力である。「法廷バトル」といういかにも現実に即したものを想像させるジャンルを定義しながら、ジャンルに対し明らかにタブーであろう「霊媒」をストーリーに組み込む新鮮さに度肝を抜かれた事は忘れていない。しかもその「霊媒」という能力は法廷バトルそのものには有利に働かないのである。

被害者を霊媒で呼び出してしまえれば、犯人を探し出すという推理ものとしての楽しさがすべてぶち壊してしまうのだ。そんなものもし小説だったならずるどころの話ではない。最初から組み合わせようと思いすらしないだろう。
しかし、その霊媒というギミックを巧みに利用することで、重要な人物である千尋さんを初期の被害者として出しながらも、ナルホド君の助言役として何度も登場させることができるのだ。これならキャラクターを増やす事なく重要な人物を印象付けることができる。ゲームという制約が生み出した極上の新鮮さだ。最初は千尋さんの事件が1話として考えられていたというのも納得しかないギミックである。

そんな「法廷バトル x 霊媒」という舞台装置をプレイヤーに存分に植え付けてからの逆転裁判2だ。

逆転裁判2と霊媒

逆転裁判2ではさらに霊媒が重要なギミックとして組み込まれていく。それはゲーム性としての楽しさとしてもストーリーとしても、である。

まずはゲーム性としての霊媒だ。
証拠品を探す探偵パートはどうしてもゲームとして単調になりがちである。つまるところ、プレイとしてはただただフィールドを移動してAボタンを押し進めるだけだ。そこに登場した新ギミックが「サイコ・ロック」である。
関係者が発言をごまかそうとするとサイコ・ロックが現れ、それを証拠品をつきつける事で真実の発言や証拠品を引き出すミニ法廷バトルを探偵パートでもプレイさせることで単調さを避けられるようになっている。
メタ的な事を言えばそういった単調さを回避するためのギミックだ。だがしかし、それにサイコ・ロックという名前をつけて逆転裁判1からつづく霊媒に紐づけたのがゲームとしての妙技なのだ。1の下地があるからこそ、新しいギミックであるにも関わらず自然な納得感をプレイヤーに与えている。うーん、すごい。

次にストーリーとしての霊媒だ。
2話では霊媒中に殺人が起き、霊媒を行っていた真宵ちゃんが容疑者として法廷に立つことになるのだ。こんなもの推理ものとしたらルール違反もいいところである。もちろんゲームとして真宵ちゃんが犯人であるはずがないとプレイヤーは思い進める。だが、死者が事件に能動的に事件に関わった場合、法廷バトルとしての証拠品は一体どんな意味を持つことになるのか。今までの体験を否定されかねない事件なわけである。
しかし、ここでも霊媒は法廷バトルかき回しこそすれ、最終的には有利にも不利にも働かせない。法廷はあくまで現実を現実として解決させるのだ。
霊媒を重要なものとして見せながらも裁判ものとして成立させてしまうストーリーテラーの実力。見事。

1,2と続きシリーズ一旦の集大成となるのが逆転裁判3だ。

逆転裁判3は傑作である

逆転裁判3はシリーズの中で間違いなく傑作と呼べるタイトルだ。
過去のシリーズで出てきたキャラクター達が続々と登場し、シリーズをプレイしていてよかった~と思わせてくれる。こうした楽しさはシリーズが長く続いていてくれているからこそだ。

もちろん新規で登場するキャラクターたちも間違いなく魅力的だ。特にゴドー検事は本作に登場する中でも屈指の魅力を持つキャラクターだろう。

初めて彼をみたのはもう十何年も昔であり、その後のシリーズで再登場もないわけだが、今でもシリーズの中で一番印象に残っているキャラクターである。それだけ彼の持つ魅力が大きく、その物語が与えた衝撃は大きかったのだ。

メイド服真宵ちゃんを用意してくれたスタッフに最上級の賛辞を送りたい。ありがとう
千尋さんのメイド服、それも反則だがちょっとお店が変わってしまいます

シリーズの中で逆転という名前をこれほどまでに見事に表現したソフトがあっただろうか、いやない。

逆転裁判3は今までのシリーズの中にまかれてきたあらゆる種が芽吹き、回収されていく快感がある。中でも霊媒という重要なギミックを提供してきた綾里の血を深く掘り下げながら、ナルホド君の「今まで」が複雑に絡まりあうストーリーが最大の魅力である。

最終話では風邪で法廷に立てないナルホド君の代わりにミツルギと冥が法廷に立つ。彼らは己の職務を全うしながら真実に近づいていく。何をおいても有罪を求めることを至上としていた「カルマ」を受け継ぎ、その役目に殉じることをよしとしてきた2人が、真実に向かって審理を進める。ナルホド君が千尋さんから受け継ぎ、貫いてきた戦いには意味があったのだ。こんなの熱くならないわけがない。

こんな涙を流した冥がどんな形であれナルホド君に手を貸しているのだ

過去の敵がピンチの時に駆けつけてくるなんて、手垢のついた手法なわけだが使い古されているからこそ、約束されたカタルシスがある。おいしい料理は何度食べても美味しいのだ。

ミツルギがヤハリを友人と呼ぶのがなんとも嬉しい

端々ですらこんなにおいしい料理を提供してくれるにも関わらず、面白さの神髄はさらに別に用意されている。

逆転と霊媒

シリーズを通して様々な意味で重要な要素を提供してきた「霊媒」
今までのシリーズでは事件に対して「霊媒」に意味が持たされることはなかった。

逆転裁判2で霊媒が関わる事件はあった。が、それでもストーリーの本質として死者は死者のまま死者の世界で留まっているのである。霊媒というルール違反を組み込みながらも、死者に成り代わった人間というギミックを使うことで法廷バトルというゲームの根幹は守られていたのだ。

その、今まで貫いてきた「死者を死者のまま事件の根幹に関わらせない」という構造すら逆転させてしまったのが逆転裁判3だ。この事件では死者が意志を持って能動的に関わってくる。それはただの超常であり異常だ。そんなことをされてしまえば究極的にはなんでもありで、そんなもの物的証拠もなにもあったものじゃない。
それだけ聞けば、ここまで絶妙なバランスを保ってきた法廷バトルという舞台装置をぶち壊す爆弾だ。にもかかわらず、それらの要素がちっとも推理ものとして破綻していないのだ。

霊媒という異常が死者を欺く手段となることで、異常を異常のまま鮮やかに逆転というゲーム性に絡ませてくる。やられた。こんな方法があったのか。

しかも、だ。その死者は成歩堂龍一という人間を作りだすきっかけとなった人物である(設定としては後付けなのだろうけれど)。

弁護士として今の成歩堂龍一を形作ったのは紛れもなく綾里千尋だ。依頼人を信じ真実を追求する姿勢、それを貫く事が彼のスタイルとなるのは真摯に事件と向き合い続けた千尋の姿が強く焼き付き、彼女の背中を追ったきたからだ。

だが同時に事件当時に成歩堂龍一から恋人の「ちなみ」を奪ったのも間違いなく千尋なのである。それらは彼の人格形成に大きな影響を与えたはずだ。
話はずれるが、同じちなみという恋人を持ち千尋に弁護される道を通りはしたが、成歩堂龍一になれなかった男が尾並田美散なのだろう。もしかしたら成歩堂にも尾並田と道を同じくする未来があったのかもしれない。

死者の犯人という存在は法廷というゲームにおいてルールで裁くことのできない無敵の存在だ。成歩堂龍一は現実というルールで動いている以上、ちなみを捉えることは不可能だ。なんというチート。そんな事が許されていいのか。

いいのだ。死者が死者である強みを利用するならば、その弱みもまた死者であることなのだから。これが霊媒を事件に使った上で「逆転」を活かす答えなのだ。

死者である千尋が死者であるちなみを上回る事、負けと思ったら負けなのだ。なまじ霊媒という異常を知り死後に存在が残る事を認知してしまっている以上、負けは永劫続く地獄と同義だ。現実を犯すルール違反であるならば与えられるペナルティは無限大なのである。こんなペナルティ、ナルホド君でも食らってないぞ。

この決着を持って、成歩堂龍一の原点にも決着がついた。それはきっと弁護士になるまで、いやきっとなった後にも心のうちにあった暗いものを解消してくれるものだったはずだ。成歩堂龍一の今後がまぶしい道となりますように。

などとこんな鮮やかな逆転を見せられ「ああいいゲームだった、満足したな」と思わせてくれる。だが待ってくれ。これで終わってはただのいいゲームだ。それだけではシリーズ最高傑作とは呼べない(勝手にそう呼んでいるだけであることには目をつぶろう)

ここからおきる「逆転」はまさに極上といって差し支えない。

ゴドー検事は何であったか

ここまでプレイしたならば「ゴドー検事の正体が誰か」そんなものはもはやプレイヤーにとって周知の事実だ。そんなもの謎ですらなく、暴いたところで逆転などとは呼べない。そんな風に油断させたところから、ゴドー検事を事件と関わらせる逆転が始まるのである。

満漢全席で満腹になったと思ったら、キッチンから山盛りのデザートが運ばれてくるのが見えた。正気か?

いや、確かにゴドー検事に赤い色が見えないという伏線は貼られていた。それを忘れた頃に最後の逆転に繋げてくる。ぞくぞくした。こんなことがあるのかよ。巧みすぎんだろ、物語の組み方が。

最後に感じたこのぞくぞくはきっと一生残るんだろう。いつか、本当にいつか自分でもそんな作品が作ってみたい。プレイ当時、そう強く思ったのを覚えている。

彼は最後に「まるほどう」ではなく「成歩堂龍一」を認められた。

それは彼にとって何よりの救いになったはずである。千尋を救えず、自分も救えなかった彼の物語は、認める事のできなかた男に自分の愛した女の影を見ることで終わったのだ。成歩堂が法廷で戦い続ける限り、愛した女と教示は消えることがない。

しかし、ここでひとつだけ疑問が残る。神乃木はなぜ最後の瞬間まで千尋に触れることがなかったのだろうか。

神乃木の行動原理は綾里千尋がベースとなっていたはずだ。それは今までの行動からも十分に伝わってくる。
しかし、千尋(を霊媒した春美ちゃん)が現れたにも関わらず、最後まで彼はその姿に動揺することも、言葉をかけることすらなかった。霊媒を現実として受け入れているはずなのに、彼の行動原理そのものであるはずの存在に全く触れることがなかったのだ。

神乃木は綾里舞子と協力し、彼女がちなみを霊媒していた所を後ろから刺したわけである。その際に決してむくわれることのない復讐と述べていることからも、霊媒をされた死者を本人の意志あるものとして捉えていたはずだ。

これは少し不自然ではないだろうか。神乃木が死を乗り越えここまで戦ってきた理由が今正面に立っているのだ。せめて一言二言くらいはあってしかるべきである(ゲーム上の都合と言ってしまえばそれまでだが)

これについて少し掘り下げて考察してみよう。
考えられるのは次の説だ。

  1. 敢えて無視した

  2. ゴドーの目では見えない

  3. ゴドーは千尋に気づけなかった

まずは「敢えて無視した」説だ。
これはゴドーのキャラクター性を考慮すると可能性は低いのではと思う。千尋を行動原理に検事になり、ナルホド君に付きまとい、殺人まで犯したのだ。これで敢えて千尋を無視したならばゴドーの精神性はいかれている。彼がこれだけの魅力を放つのは根本にあるその泥臭い人間性だ。それを裏切るような行為は納得しがたい。
綾里舞子と協力する際に千尋と関わらないという制約があったのならば別だが、少々こじつけが過ぎるように感じる。そういった描写もないし、やはりリアクションすらないというのは鉄の心すぎるだろう。

そう考えると千尋に対するリアクションがなかった事は、彼の意志ではなかったと捉えるのが自然である。

次に「ゴドーの目では見えない」説を考えてみよう。
ゴドーは復活の過程において身体の不調が起きている。あのゴーグルをかけていても完全には見えないと作中でも述べられている。つまりその不調から千尋が見えていなかったという説だ。
もしそうだとしたら千尋が見えなかった原因はなんだろうか。

最初に彼の目には死者が見えないのではと考えたが、ちなみと会話していることからそういった制約はないはずである。
愛した対象だけは見えなくなるという条件だとしたら彼というキャラクターに対して残酷が過ぎる。
また、「見えなかった」と考えると千尋がちなみに対して成敗を下す瞬間に何も反応しなかったことが不自然だ。ちなみがレスポンスを返していることから、検事席まで声が届いてなかったとも考えにくいし、彼ほど聡明であれば声やちなみの反応から千尋の存在に気づくだろう

とすれば「見えなかった」のではなく「認知できなかった」が正しいのではないだろうか。

つまり「ゴドーは千尋に気づけなかった」という説だ。

彼は事件の捜査の途中でも成歩堂に向かって「彼女はもう帰ってこない」と伝えるシーンがある。つまり彼の中で千尋はもう死んだ、過去として清算がすんでしまい、もう二度と会えない対象と認識してしまっているのだ。
この世界は視界は現実をとらえるものではなく、認知を脳に投射する世界であると考えよう。
晴美ちゃんが霊媒した千尋がちなみを追い詰めるシーンも、ゴドーの視界を通した世界では晴美ちゃんは晴美ちゃんとしか見えておらず、裁判の進行は成歩堂によるやりとりに見えていたのではないだろうか。(晴美ちゃんがただそこにいるだけ、というのに違和感を覚えないゴドーというのも少し強引な解釈ではあるが……)

そう考えると、このシーンの捉え方も変わってくる。

素直にとらえればこのシーンはゴドーが成歩堂の中に千尋の戦い方が生きている事を感じるメタファーだ。
しかし、認知が世界を形作るのだとすると、彼の視界には本当にこう映っていたとも考えられる。「死んだからには二度と会えない」という認知が成歩堂の戦い方に触れることで「千尋は生きている」に書き換わったのである。

霊媒というルール違反を知りながら、高すぎる現実の認識力が故に愛する人と会うことが叶わなかった男は、あの一瞬だけは本当に千尋と再会できたのだ。

だが、皮肉なことに彼はそれによって「すべてを終えた」のである。満たされてしまった彼は再びそれらを過去と捉えてしまった。つまり千尋は「二度と会えない」存在へと戻ってしまったのだろう。ゴドーが千尋に対してアクションする機会はあの一瞬しかなかったのだと考えると、彼が千尋に対して一言も発さずにいた事も納得がいく。

しかし「二度と会えない」という結果は同じだが、この前後においてゴドーの心は変わったはずである。
一瞬であろうと自分の愛する人と会えた。自分の認知を上書くほどに成長した後輩を見た。その瞬間、神乃木にとって「ゴドー検事」はすべてを終え、逆転裁判という舞台上にもう必要がないキャラクターとなった。これは満足という感情が最も適当だろう。
彼の赤いマスクに映ったのものは、千尋が見えなくともきっと幸せな未来であったのだ。

彼がこれだけプレイヤーの心に残りながら、これ以降のシリーズに登場していないのは、彼の物語は語りつくされたという事である。プレイヤーとしての寂しさはあれど、なんと幸せなことではないだろうか。

綾里の血

逆転裁判3は綾里の血に関わる物語が大きな要素だ。
逆転裁判をただの法廷バトルではなく霊媒というギミックを加える事で、ゲームとして、ストーリーとしてのクオリティを引き上げている。その根幹に関わる綾里の血を重要な要素とするならば、それはシリーズにおける世界観の根幹に踏み込むことと同義である。

最後の事件は娘を本家にするため、真宵を亡き者とする事が事件の骨子であった(色々な要素が絡みまっすぐに進まなかったが)。

春美自身の意志はどうあれ、彼女の行動は綾里本家に害なすものだった。しかもそれは実の母による計画である。ひいてはその出生すら母親の道具として扱われているに等しいのだ。
倉院の里で生まれ外を知らずに育ち、真宵を強く慕う彼女にとって何よりも辛いことだったであろう。こんな子供に背負わせる重さではない。
人の心とかないんか。

倉院の里の凋落はDL6号事件における綾里舞子がきっかけだ。
それは長女であるにも関わらず妹に本家を奪われた(と認識してたであろう)キミ子にとって、どれほどの深い憎しみに変換された事であろうか。里も妹も、夫ですら頼れない。自身ではどうしようもない事で里の不幸を押し付けられる構図だ。彼女は自分では何もできないという認識が強固なものになり、だからこそ自分ではない存在にすべてを託すしかなかったのだろう。そう考えると逆転裁判2における彼女が、事件に関わりながらも一人でやらず協力者を求めたのも「自分ではなにもできない」からなのだろう。かわいそうな人ではあるのだ。だからと言って許されることではないのだが。

本家/分家の争いなど当の真宵や春美には関係ない。姉を亡くした真宵にとって、自分を姉のように慕ってくれる「はみちゃん」はどれだけの救いになっていただろう。同じように母親と離れた春美にとって真宵は家族としての絆を感じる対象だったはずだ。

自身の意志とは関係なく綾里の血は彼女たちを事件に組み込んでいく。真宵が証言台に立つ際に「綾里の血が怖い」と言ったのも仕方のない話である。(成歩堂法律事務所の副所長は真宵ちゃんにとって血よりも強い拠り所だったという事でもあるが……!)

それでも真宵ちゃんは私は幸せだと笑ったのだ。みんなのおかげなんだから。

それは姉を思い自分を庇おうとしてくれた神乃木の事。血よりも強い拠り所をくれた成歩堂の事。なにより母親と姉を亡くした自分に家族の暖かさをくれた「はみちゃん」に対しての事だったんだろう。

「倉院流・家元の護符」の中に残されたものは2人の写真だ。綾里舞子にとって、護符とは2人の娘だった訳である。

同じ思い出を共有したはみちゃんは、家元となる真宵とって新しい護符となる暗示なのだ。そこには本家と分家の隔たりなどない。綾里の血への決着だ。それは家元を継ぎ姉と決別する事になってしまった舞子にとっても、何にも代えがたいプレゼントなのではないだろうか。

なんだかんだ逆転裁判はすっきりと幸せな解釈を素直に提供してくれる。それでもこれだけ色々思いをはせることができてしまう。逆転裁判はいいぞ

皆プレイしてくれ

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